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よしの168小祝島の住民が宇島に移住
https://www.keichiku.info/news/index.php?newsid=6848&category_id=5
平成28年度の第2回京築地域ディレクター会が、豊前総合庁舎で開催されました。
ディレクター会は、情報を発信する会員が豊前に集まり、「京築まるごとナビ」サイトの
活発化のための意見交換を行うと同時に、豊前の街並みを散策してアピール対象を見つけ、
情報発信につなげようとする活動を行っています。
豊前では今年6月、宇島漁港に水産振興施設「うみてらす豊前」がオープンし、
漁業による地域活性化の取り組みが始まりました。
施設の2階に開設した「漁師食堂うのしま豊築丸」は、昼食時間になると空席待ちの人たちで
ロビーが一杯になるほどの賑わいを見せています。
宇島港は、江戸時代末期、山国川河口の小祝島が中津藩に領地替えとなり、
小祝島の住民を移住させるため、小倉藩が豊前市赤熊の海岸に築いた港でした。
当時はたくさんの鵜の鳥が生息していたため、鵜の洲(うのしま)と呼ばれていた地名が
改められて宇島になったそうです。
宇島港の築港は小倉藩の郡代:杉生貞則が当たり、6年半の歳月を要して完成しました。
港の開港によって小今井潤治は海運業で財をなし、宇島は米や産物の積出港として栄え、
豊前の繁栄に大きく貢献したが、鉄道の普及により、開港当時の賑わいはなくなっていったそうです。
海の幸という自然の恵みを与えてくれる宇島漁港。
豊前の散策は、新しい港を開くという展望で、人家もなく鳥が群舞するような海岸に港を築き、
海運業を興し、宇島の発展にかかわった人々の史跡を訪ねる街めぐりでした。
撮影日:2016.12.2
画像
・メイン:豊前総合庁舎で行われた、京築地域ディレクター会
・サブ左:うみてらす豊前、2階は「漁師食堂うのしま豊築丸」
・サブ中:旧小今井邸(現在 鈴木邸として管理している)
・サブ右:小祝島から移住した、穀田屋孫二郎が建立した教円寺三階建て鐘楼
よしの167-1お浄土
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E5%9C%9F
浄土(じょうど)とは、仏教における概念で、清浄で清涼な世界を指す。浄刹(じょうせつ)、浄国、浄界などとも言われる。穢土(えど)と対となる語である。
穢土[ソースを編集]
浄土と対となる語である穢土とは、穢国ともいわれるように穢悪(えあく)に満ちた世界である。
ここでは人間が自縄自縛して、虚妄なるものを虚妄としらず、それにとらわれ苦しんでいる煩悩の世界をいう。
概説[ソースを編集]
精神的物質的に何らの潤いを感ずることのない穢土に対して、浄土とは清浄で清涼な世界である。このような清浄の世界は正しく仏の国である。したがって、浄土とは仏国である。
『維摩経』には「その心浄きに随って、すなわち仏土浄し」といい、また『心地観経』には「心清浄なるが故に世界清浄なり、心雑穢(ぞうえ)なるが故に世界雑穢なり」とあるように、世間の清浄であることは心による。すなわち、国土の浄不浄はそこに住む人の心によって決定づけられる。
そこで、真実の浄土は仏の住居する処であり、成仏せんがために精進する菩薩の国土である。この点で、浄土は仏土である。しかし浄土は仏土であるが仏土は必ず浄土ではない。仏の教化対象の世界も仏土であるから、凡夫の世界も仏国でありうる。よって、仏国とは仏の住まいし、また教化する世界のすべてをいうから、浄土は成仏を目標とする菩薩の世界である。
このような浄土について種々に説かれる。それらの中でも阿弥陀仏の西方極楽浄土は有名だが、この外に阿閦仏の東方妙喜世界、薬師仏の東方浄瑠璃世界、釈迦牟尼仏の無勝荘厳国など知られている。その意味で、浄土という語は一般名詞であり、固有名詞ではない。
浄土は何のためにあるのかといえば、仏自らが法楽を受用するためと共に、人々をその国に引接して化益をほどこし、さとりを開かせるためである。雑穢の世界は成仏への修行の妨げである。そこで、諸仏は修行が容易であるように、人々を浄土に引接して化益する。この意味で、浄土とは仏の自利・利他の二利満足の場である。
これらの浄土は、ただちにこの世界ではなく、別の世界において設立されたものである。したがって、人々はこの世界での命が終わってからゆくので、往生浄土という考えがみられる。ことに阿弥陀仏の西方極楽浄土は、往生浄土を立場とする浄土教を形成する。
別世界に浄土の建立を説くのではなく、この世界をそのまま浄土に変現するという考え方がある。すなわち、心浄なれば土も浄とする『維摩経』の趣旨によれば、この世界にありながらこの世界がそのまま清浄の土でありうる。たとえば、『法華経』に、この娑婆世界を変じて瑠璃地の清浄世界と変ずと説くものである(娑婆即寂光)。この考え方に立つのが、釈迦の霊山(りょうぜん)浄土、毘盧舎那仏の蓮華蔵世界である。
また、仏土のように慕われたものに弥勒菩薩の兜率天の内院、観音菩薩の補陀落山などがあり、ある意味で浄土に準ずるものである。
最も浄土として特色のあるのは、この世界とは別に、仏によって建立せられた浄土があるという考え方である。その浄土へ往って仏に導かれて自分も悟りをうるとする浄土の考え方である。
関連文献[ソースを編集]
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%80%E7%94%9F
往生(おうじょう)とは、大乗仏教の中の成仏の方法論の一つである。
現実の仏である釈迦牟尼世尊のいない現在、いかに仏の指導を得て、成仏の保証を得るかと考えたところから希求された。様々な浄土への往生があるが、一般的には阿弥陀仏の浄土とされている極楽への往生を言う。これは極楽往生(ごくらくおうじょう)といわれ、往とは極楽浄土にゆく事、生とは、そこに化生(けしょう)する事で、浄土への化生は蓮華化生という。
化生とは生きものの生まれ方を胎生・卵生・湿生・化生と四種に分けた四生(ししょう)の中の一つ。
極楽浄土への往生は、そこに生まれる業の力で化生すると言う。蓮華化生とは極楽浄土の蓮華の中に化生するという
本来の意義[編集]
往生の本来の意味は、仏になり悟りを開くために、仏の国に往き生まれる事である。よって、往生の本義は、ただ極楽浄土に往く事にあるのでなく、仏になる事にある。
必然性[編集]
何故仏国土に往生する事が、成仏の方法となるかというと、成仏には、仏の導きと仏による成仏への保証(授記)がなければならないからで、これらのない独自の修行は、阿羅漢(あらかん)や辟支仏(びゃくしぶつ)となる事は出来るが、それらになると二度と仏となる事が出来ない、と大乗仏教では考えられていた。
仏教のさとりは無我の証得である。自己の空無なる事を悟るためには、修行している事に「自らが」という立場があってはならない。自我意識が残る限り成仏は不可能とすれば、自我意識の払拭は自己自らでは不可能となる。ここに、成仏に逢仏、見仏を必要とする理由がある、というのが浄土門の立場である。
一般に「往生する」とは[編集]
往生とは極楽往生、浄土往生といわれるように、人間が死んで仏の国に生まれるから、一般的に死後の往生の意味である。しかも、往生する世界は仏の世界であり、そこに生まれる事は成仏する事である。
そこから意味が派生して、往生とは仏になる事と考えられ、往生は現実には死であり、さらに仏になることなので死んだら仏という考え方が一般化したと考えられる。中でも老衰やそれに伴う多臓器不全などの自然死による他界を大往生と呼ぶことが多い。
この往生の意味が、さらに俗化して「身のおきどころがなく、おいつめられた時」を往生するとなったと考えられる。
参考用語[編集]
参考文献[編集]
よしの167豊前市宇島の教圓寺だより
http://blog.goo.ne.jp/tmtr_2006
浄土真宗のお寺です。
先日寄らせていただきました。
そして、フリーペーパーの教員寺だよりいただきまして、読みまして、歴史って何だろうって思いました。
大分・中津 暗闇の思想、新たな輝き
大分県中津市の中津川のほとりを歩いた。晴れた空に薄雲が棚引いていた。
穏やかな豊前海にそそぐ山国川は、河口付近で中州の小祝島をはさんで中津川へと分かれる。
作家松下竜一さん(1937~2004)〈注〉の「豆腐屋の四季」の読者なら、高校卒業後、進学を断念し、豆腐屋として働くことになった青年が、青春の屈折した思いを抱いて小祝島の得意先に自転車で豆腐を配達する切ない光景はよく知るところだろう。中津市内の松下さんの自宅から歩いて10分ほどの中津川沿いの道は長年、妻の洋子さん(67)との散歩道だった。
*
朝日歌壇に短歌を投稿した松下さんが初入選を果たした作品、
《泥のごとできそこないし豆腐投げ怒れる夜のまだ明けざらん》
には、都会に出ることなく地方に居残った若者が抱く哀(かな)しみと怒りがこもる。
一方で、松下さんは執筆活動のかたわら、故郷の海を埋め立てて建設されようとしていた豊前火力発電所建設反対の住民運動のただ中に飛び込んだ。建設差し止め訴訟を起こし、発言を続けた。
「故郷の海を守りたい」という思いが、清貧の中で歌作を続ける模範青年を闘う作家に変えていた。
昔、松下さんにお会いしたことがある。「ルイズ―父に貰いし名は」の取材にかかろうとされていたころだ。
当時、地方紙の記者をしていた私は、ある集会でのパネリストをお願いした。その打ち合わせのため中津市のご自宅をお訪ねしたのだ。
集会の趣旨を聞かれた松下さんは「他の人にも聞かせたいから」と、近くで開かれていた住民運動の仲間たちの勉強会に私を連れていった。松下さんを支え続けた友、梶原得三郎さん(77)のお宅ではなかったか。
中津市を訪れたのは夕方だった。勉強会に案内されるころには日が落ちていた。
夜道を案内してくれる松下さんは下駄(げた)履きで、カラ、カラと下駄の音が響いた。その飄々(ひょうひょう)と軽みを帯びた音がいまも耳の奥に残っている。
*
三十数年ぶりに中津を訪れ、松下さんの散歩道を梶原さんと、やはり松下さんを手助けした新木安利さん(66)とともに歩いた。
日差しに照らされる川の土手に立つと景色はことのほか美しく感じられた。早朝に豆腐を配達して、
《瀬に降りん白鷺(しらさぎ)の群舞いており豆腐配りて帰る夜明けを》
と詠(うた)った風景だ。
松下さんの自宅の裏は福沢諭吉(1835~1901)の旧居である。著書「文明論之概略」(1875年)で、西洋文明を学ぶのは国家の独立を果たすためであると主張し、わが国が近代化に驀進(ばくしん)する道筋を開いたのが福沢諭吉であるとするならば、住民運動で「環境権」を主張し、近代国家に大きな異議を唱えたのが松下さんだ。
福沢は中津を出て大きく飛翔(ひしょう)する。一方、松下さんは生涯、故郷を離れなかった。
松下さんの著書「暗闇の思想を」には、豊前火力発電所建設に反対することへの嫌がらせが相次ぎ、ふと思いついて真冬の一夜、家中の電気を止めた経験が書かれている。その時の幼子との会話は次のようだった。
《「なあ、とうちゃんちゃ。なし、でんきつけんのん?」
「うん。窓から、よう星の見えるごとおもうてなあ」
「そうかあ。ほしみるき、くろおうしちょるんかあ」》
寒さをこらえて開けた窓から星が見えた。現代社会に電力は欠かせないが、一方で暗闇の中にもひとの幸せはある。
《「国民すべての文化生活を支える電力需要であるから、一部地域住民の多少の被害は忍んでもらわねばならぬという恐るべき論理が出てくる。本当はこういわねばならぬのに――誰かの健康を害してしか成り立たぬような文化生活であるのならば、その文化生活をこそ問い直さねばならぬと」》
東日本大震災により福島原発の大事故が引き起こされたいま、「暗闇の思想」は古びることなく、新たな輝きを持つ。
*
川を眺めて歩くうちに、梶原さんが身をかがめて土手の野草を手にした。
「風草です」
風草はイネ科の多年草で小さな穂をつける。見れば土手の風草の群れが風に揺れている。
松下さんは河口で、パンの耳をちぎってカモメに与え、季節の草花などを眺めるのが好きだったという。
11年前、2004年6月17日に松下さんは、亡くなった。だが、魂から発せられた思いは、今もひとを揺り動かし続ける。
青空の下、静かにそよぐ風草のように。
*
<松下竜一さん> 高校卒業後、母の死で大学進学をあきらめ、19歳で家業の豆腐屋を継ぐ。仕事の厳しさや暮らしの貧しさを短歌とともにつづり、1968年に自費出版した「豆腐屋の四季」は翌69年に出版社から刊行されてベストセラーとなり、緒形拳主演でテレビドラマ化され、脚光を浴びた。
70年から作家に専念する一方、73年に九州電力豊前火力発電所(福岡県豊前市)の建設差し止めを求め、梶原得三郎さんら仲間と7人で、弁護士なしの本人訴訟として提訴。「環境権」を掲げて闘い、85年に最高裁で敗訴が確定したが、運動の機関誌「草の根通信」は反戦平和や反核、人権へとテーマを広げ、04年7月まで続いた。
大正期のアナーキスト大杉栄と伊藤野枝の娘、伊藤ルイさんの半生を描いた「ルイズ―父に貰いし名は」(82年)で第4回講談社ノンフィクション賞。他の著作に「暗闇の思想を」(74年)、「砦に拠る」(77年)、「底ぬけビンボー暮らし」(96年)など。
◇
はむろ・りん 1951年、北九州市小倉生まれ。地方紙記者などを経て、2005年に「乾山晩愁」で歴史文学賞を受賞し、作家デビュー。西日本を舞台にした歴史小説が多い。07年に「銀漢の賦」で松本清張賞。12年に直木賞を受賞した「蜩(ひぐらし)ノ記」は映画化されてヒットした。近刊に「春雷」「影踏み鬼 新撰組篠原泰之進日録」など。久留米市在住。
曙光(しょこう)…夜明けのひかり。暗黒の中にわずかに現れはじめる明るいきざし(広辞苑から)
よしの165空港の軍事利用を一層進める動きが進んでいる。
----- Original Message -----
From: 脇 義重 <wakikwan@jcom.home.ne.jp>
To: 秘密法だめ2 <himitsuhodame2@freeml.com>; あきらめネット2 <fuku-heiwa@freeml.com>; ml-mirai@kotiaka.jp; k-peace2 <kpeace@freeml.com>; ふくおか自由学校 <fuku-freedom-school@freeml.com>; やだ、安保法!懇談会 <yadaanpo@freeml.com>
Date: 2017/8/18, Fri 22:51
Subject: [fuku-freedom-school:0916] 「雁の巣ヘリポート新設」環境影響評価準備書 閲覧し意見書を提出してください(再掲)。脇の見聞録。国の説明会で気になった質問と回答集(新規)
「雁の巣ヘリポート新設」環境影響評価準備書 閲覧し意見書を提出してください。
福岡空港は全国唯一の米軍との共同使用空港です。米軍の占用面積は14.4%の広さです。
他にも航空自衛隊春日基地の空港施設があります。今空港の軍事利用を一層進める動きが進んでいます。
一つは滑走路増設、もう一つは福岡市東区雁の巣地区のヘリポート建設です。
他にも、滑走路増設に伴って、海上保安庁の施設が北九州空港に移設されようとしています。また、飛行機が使用する面積を広げる工事が進められています。そのひとつが国内線旅客ターミナルビルのセットバック工事が進められています。そして、コンセッション方式で空港施設民営化が進められています。
こうした福岡空港の施設整備は、米軍や自衛隊の軍事利用拡大のためです。オスプレイ飛来など、雁の巣ヘリポートの軍事利用が心配です。
ヘリポートの建設予定地は、東区奈多の雁ノ巣レクレーションセンターに近接する、県警訓練場跡地です。民家とは1kmほどしか離れていません。国の事業ですが、環境アセスメントは面積が小さいことから、福岡市環境影響評価条例によって、進められています。 (福岡市係は092-711-4832)
2015年に雁の巣病院で開かれた説明会では「終の棲家として引っ越してきた。騒音、低周波振動で子育てもできない」との住民の悲鳴が聞こえ、去年行われたヘリコプターの試験飛行では「騒音がひどい」という声が出ました。一機だけの試験飛行でしたが、事件や事故で移転予定の23機のヘリコプターが一斉に飛行することになると、住民は「住んではいられない騒音地獄になってしまう。」と悲痛な声を出しています。
7月30日、新福岡空港ストップ連絡会 共同代表 脇 義重
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国のお知らせ http://ocab.mlit.go.jp/news/hotnews/newslog/201707/11628post_14.html
準備書などは大阪航空局のホームページに掲載 http://ocab.mlit.go.jp/top/
Ⅰ 環境影響評価準備書の資料閲覧
福岡市役所、東区役所、東市民センター、コミセン和白などで、7月25日(火)から8月24日(木)まで
Ⅱ 環境影響評価準備書への意見書提出
国土交通省大阪航空局空港部空港企画調整課または九州地方整備局港湾空港部福岡空港整備推進室
17年7月25日(火)から17年8月24日(木)まで
ⅲ 環境影響評価準備書の説明会開催 8月5日と6日にコミセン和白、福岡市役所 奈多公民館で実施済。
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脇の見聞録。国の説明会で気になった質問と回答集。(5頁)は説明会資料の5ページ記載、「回答」は国の回答。
① 国の説明、国としては雁の巣ヘリポートでの管制業務は行わない。利用事業者の自主的運用に任せる。
② 国の説明、雁の巣ヘリポートは福岡空港の一部で「福岡空港雁の巣地区」とする予定。
③ 国の説明、「福岡空港は24時間運用だが、住民騒音対策として、夜間の運用を自粛している。(移転前の現在では、)へリコプターの離発着回数は全体の0.2%程度だ」。「雁の巣地区では、24時間態勢を考えている。」
質問「安眠妨害原因の夜間飛行は0.2%を超える」回答「丁寧に説明する」=回答していない。(10頁)
④ 質問「超低周波音のアセスで『睡眠に及ぼす影響の目標値』が記されているが、目標値以下なら、安眠が保証されるのか」回答「私たちも知見を持っていません」。(39頁)
⑤ 質問「雁の巣ヘリポートに、オスプレイは飛来するのか」回答「小さなヘリパッドなので、利用することはないと思うが、日米地位協定があるので、米国側から飛来要請があれば拒めない」
⑥ 質問「23機のヘリコプターが雁の巣ヘリポートに移転すれば、米軍に便利な福岡空港になるのではないか」回答「米軍機の飛来はあるが、米軍機が常駐していないので、そうは思わない」
⑦ 質問「騒音実機調査結果で、騒音が雁の巣地区住宅地では『測定値不検出』となっている。信じがたい」
回答「ヘリコプターの騒音と特定できなかった」(34頁)
よしの164幸福の科学
ひさしぶりに幸福の科学の「正心法語」をよんでみました。
幸福の科学のよいところは他の宗教をやっててもいいところ。
宗教って「うちじゃなきゃ救われない」って言う人いるけど、幸福の科学は自由度がいいです。
―
あれっ
「うちじゃなきゃ救われない」って家じゃなきゃって言う意味じゃないですよね。
―
すると養子縁組はどうなるの?
これはよく考えないと。
https://www.youtube.com/watch?v=XGB8mV3QByY
郡上節 げんげんばらばら(郡上おどり) Gujo Odori
―
なんだかこの歌いやです。
―
「家じゃなきゃ救われない」
ていわれても、親が離婚して、両方再婚してたら家は?
国際結婚だと?
これはよく考えないと
私の場合、情報アップで考えていければと思います。
いまのところよくわかりませんので、幸福の科学の「正心法語」にもどりまして、
内容は秘密になっているので言えませんが
おおまかならいいのでいいますと
人生に 三つの ようすがある
過去 現在 未来
他人に対しては理解を示し
自分は 反省
自分と他人は 一つだ
ともに 仏の 強大とでましたが 兄弟
愛し合い 生かしあい ゆるしあいなさい