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113はいく。
すこしつかれたので ポエムします。
せかいで いつばん みじかい ポエム はいくです。
きごは なつ
ちょうど きょうから。
りっか 5がつ6か ごろから りっしゅう 8がつ8か ごろ の ぜんじつまで。
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熊笹に 身を沈めゆく 北の夏 岡本差知子
甲斐善光寺門前のかつと夏 廣瀬直人 「朝の川」
初夏に開く 郵便切手 ほどの窓 有馬朗人
初夏の山 立ちめぐり 四方に風 水原秋櫻子
はつなつの 鳶をしずかな 鳥とおもふ 神尾久美子
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なんだか わかったような わからないような はいくです。
では わたしも いっく よんでみます。
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なつだけど やまいもたげて かなしけれ
かいせつ
これは たいちょうがわるく なつのさかりに なっていくのに ねこみがちの きぶんを よんだものです。
112 くまもと じしんじょうほう。
くまもとけん にきいたら くまもとけんの きしょうだい に じょうほうがある とのことでしたが くににありました。
きのうと おおとい しんど4が 3かいきています。
4がつ29にち に おおいたで しんど5です。
じしんの かいすうが 1000かいを こえたのは ひがしにへんだいしんさいよりも はやいペースだそうです。
http://www.jma.go.jp/jp/quake/quake_local_index.html
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160504-00000013-rescuenow-soci
熊本地震〕有感地震1200回超 なお活発な活動続く
レスキューナウニュース 5月4日(水)14時0分配信
平成28年熊本地震では、熊本県から大分県にかけて地震活動の活発な状態が続いており、4月14日21:26頃に発生した最大震度7の地震からの震度1以上の地震回数は5月4日16:00現在、合わせて1204回に達しています。
5月4日も07:52頃に熊本県熊本地方を震源とする最大震度4の地震や、午後にも震度3の地震が2度発生するなど、なお活発な活動が続いています。
【地震活動の状況】(4日16:00現在)〔気象庁(※速報値)〕
・震度7:2回、震度6強:2回、震度6弱:3回、震度5強:4回、震度5弱:7回、震度4:81回、震度3:227回、震度2:473回、震度1:405回
【一連の地震活動のうち、震度5弱以上を観測した地震】
<4月14日>
・21:26 熊本県熊本地方 11km M6.5 震度7
・熊本県内で震度5弱以上を観測するのは、2015年7月13日02:52頃、大分県南部を震源とするM5.7の地震(大分県佐伯市で震度5強、熊本県阿蘇市、産山村で5弱)以来。
・震度7の観測は、1995年1月の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)、2004年10月の新潟県中越地震、2011年3月の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に次いで4回目。九州地方での計測震度7は史上初。
・22:07 熊本県熊本地方 8km M5.8 震度6弱
・22:38 熊本県熊本地方 11km M5.0 震度5弱
<4月15日>
・00:03 熊本県熊本地方 7km M6.4 震度6強
・01:53 熊本県熊本地方 12km M4.8 震度5弱
<4月16日>
・01:25 熊本県熊本地方 12km M7.3 震度7
・当初発表は最大震度6強、4月20日に震度7に修正。同一地域を震源とする一連の地震で震度7を複数回観測したのは初めて。
・01:44 熊本県熊本地方 15km M5.4 震度5弱
・01:45 熊本県熊本地方 11km M5.9 震度6弱
・03:03 熊本県阿蘇地方 7km M5.9 震度5強
・03:55 熊本県阿蘇地方 11km M5.8 震度6強
・07:11 大分県中部 6km M5.4 震度5弱
・07:23 熊本県熊本地方 12km M4.8 震度5弱
・09:48 熊本県熊本地方 16km M5.4 震度6弱
・16:02 熊本県熊本地方 12km M5.4 震度5弱
<4月18日>
・20:41 熊本県阿蘇地方 9km M5.8 震度5強
<4月19日>
・17:52 熊本県熊本地方 10km M5.5 震度5強
・20:47 熊本県熊本地方 11km M5.0 震度5弱
<4月29日>
・15:09 大分県中部 7km M4.5 震度5強
レスキューナウ
最終更新:5月4日(水)16時30分
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http://www.pref.kumamoto.jp/kiji_15459.html
平成28年熊本地震に関する災害対策本部会議資料(最新資料は緊急情報に掲載)
最終更新日:2016年4月30日
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http://www.pref.kumamoto.jp/hpkiji/pub/List.aspx?c_id=3&class_set_id=1&class_id=1007
熊本県非常勤職員(くまもと雇用創出総合プロジェクト推進員)採用試験結果
111-1第50回「世界広報の日(2016年5月1日)」教皇メッセージ
山元眞神父さまの おはなしの レジメです。
やまもと しんぷさまの おようふくは えりの のどのところが しかくに しろかったです。
きようこうさまは けいむしょの かたがたとも ぶんつうを されているそうです。
なかなか コミュニケーションの とりかたは むつかしいと おもいますので やまもとしんぷさまに そうだんしてみたいと おもいます。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/sc/16sc.htm
第50回「世界広報の日(2016年5月1日)」教皇メッセージ
「コミュニケーションといつくしみ、実り豊かな出会い」
いつくしみの特別聖年は、コミュニケーションといつくしみの関係について考えるようわたしたちを招いています。実際、キリストと結ばれた教会、いつくしみ深い御父の生きたからだである教会は、その存在と行動全体の特徴であるいつくしみを生きるよう求められています。わたしたちの発言、言い回し、一つひとつのことばやしぐさは、すべての人に対する神のいつくしみと優しさ、ゆるしを表わすものでなければなりません。愛は本来、コミュニケーションであり、人の心を開き、孤立させません。わたしたちの心と行いが慈愛によって、神の愛によって促されるなら、わたしたちのコミュニケーションは神の力を伝えるものとなるでしょう。 わたしたちは神の子として、一人残らずすべての人とコミュニケーションを取らなければなりません。とりわけ、教会のことばと行いの特徴は、人々の心を動かし、いのちの充満への道を歩む人々を支えるために、いつくしみを伝えることです。イエス・キリストは、いのちの充満をもたらすために御父によって遣わされ、すべての人のもとに来られたのです。このことは、母である教会のぬくもりを、イエスが知られ愛されるように、自分自身の中に受け入れ、周囲の人々に伝えることを意味します。そのぬくもりは、信仰のことばに内容を与え、宣教とあかしを通してそれらを生き生きとさせる「火花」を燃え上がらせます。 コミュニケーションには、かけ橋を築き、人々が出会い、社会にとけ込めるよう手助けする力があり、それにより社会はより豊かになります。人々が誤解を解き、傷ついた記憶をいやし、平和と調和を確立するために、ことばと行いを注意深く熱心に選ぶさまを見るのは何とすばらしいことでしょう。ことばは人々の間、家庭や社会団体、諸民族同士の間にかけ橋を築くことができます。それは、物理的領域でもデジタル領域でも可能です。したがって、ことばと行いは、人や国を混乱させ、憎しみのことばで表現するよう仕向ける、非難と報復の悪循環からわたしたちが脱する助けとなるべきです。一方、キリスト者のことばは、つねに交わりを促すものであるはずです。悪を強く非難すべき場合にも、決して人間関係やコミュニケーションを壊そうとしてはなりません。 したがって、引き裂かれた関係を修復し、家庭と共同体に平和と調和を取り戻すために、いつくしみの力に新たに目を向けるよう、わたしはすべての善意の人を招きたいと思います。ご存じのように、過去の傷と恨みが人々をとらえ、コミュニケーションと和解を阻んでいます。諸国民の間の関係についても同様です。いずれの場合にも、いつくしみには、新しい形の発言と対話を生み出す力があります。シェークスピアはそのことを雄弁に語っています。「慈悲は強いられるべきものではない。恵みの雨のごとく、天よりこの下界に降りそそぐもの。そこには二重の福がある。与えるものも受けるものも、共にその福を得る」(『ベニスの商人』第四幕、第一場〔福田恆存訳、新潮文庫〕)。 政治や外交で使われることばも、それらにとって不可欠ないつくしみに基づいていることが望ましいです。組織や政界の責任者と世論の形成に携わる人々にとくにお願いします。異なる考えや行動をとる人々や、過ちを犯した可能性のある人々について語る際には、いつも表現方法に気を配ってください。そうした状況を悪用して、不信や恐れ、憎しみの炎をかき立てるという誘惑にかられるのは容易です。そうではなく、和解のプロセスに人々を導くためには勇気が必要です。過去の争いを真に解決し、永続的な平和を実現する機会をもたらすのは、こうした前向きで創造性のある大胆さにほかなりません。「あわれみ深い人々は、幸いである、その人たちはあわれみを受ける。……平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5・7、9)。 わたしたちのコミュニケーションと、教会における司牧者としてのわたしたちの奉仕が、敵より優っているという傲慢な思い上がりを表現したり、世間から敗者や見捨てられた人と考えられている人々に屈辱を与えたりすることがないよう、わたしは望んでやみません。いつくしみは、人生における逆境を和らげ、裁きの冷たさしか知らない人々にぬくもりを与えることができます。わたしたちのコミュニケーションが、正しい人と罪人をはっきりと分け隔てる考え方を克服するものでありますように。わたしたちは、罪深い状況――暴力、汚職、搾取など――を裁くことができますし、そうしなければなりません。しかし、人を裁くことはできません。神だけが人の心の奥底を見通すことができるからです。わたしたちの務めは、犠牲者を解放し、倒れた人を起き上がらせるために、過ちを犯している人に忠告し、特定の行いの悪と不正を非難することです。ヨハネによる福音書は、「真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネ8・32)ことを思い起こさせてくれます。その真理は、最終的にはキリストご自身です。キリストの柔和ないつくしみは、わたしたちが真理を告げ、不正を非難する方法を測る基準です。わたしたちの主要な使命は、愛をもって真理を明らかにすることです(エフェソ4・15参照)。愛をもって告げられ、柔和さといつくしみを伴うことばだけが、わたしたち罪人の心を動かします。厳しく独善的なことばや行いは、わたしたちが回心や解放へと導きたいと願っている人々をさらに遠ざけ、彼らの拒絶感と防御意識を強めてしまう恐れがあります。 いつくしみに根ざした社会という考えは、根拠のない理想主義で、甘すぎると思っている人もいます。しかし、家庭内での最初の人間関係の体験を思い出してみましょう。両親は、わたしたちの能力や成果ではなく、むしろありのままの姿によってわたしたちを愛し、認めてくれました。両親は、当然、子どもたちのためにできる限りのことをしたいと望みます。しかしその愛は、決してある種の条件を満たすことを前提とするわけではありません。家族のいる家は、わたしたちがいつも受け入れられる場です(ルカ15・11-32参照)。人間社会を、見知らぬ人々が競い合い、優位に立とうとする場としてではなく、互いを受け入れ合い、扉がいつも開かれている家や家庭として考えるようわたしは皆さんにお勧めしたいと思います。 そのためには、まず耳を傾けなければなりません。コミュニケーションは、分かち合うことを意味します。分かち合うには、耳を傾けて受け入れる必要があります。耳を傾けることは、単に聞くこと以上のものです。聞くことは、情報の領域へのかかわりです。一方、耳を傾けることは、コミュニケーションの問題であり、親しさが求められます。耳を傾けることにより、わたしたちは、傍観者や消費者、顧客という何も働きかけない状態から抜け出して、正しい態度をとることができます。耳を傾けることは、質問や疑問を分かち合い、他の人に寄り添って道を歩み、全能であるかのような思い上がりをすべて捨て去り、自分の能力とたまものを共通善のために謙虚に用いることのできる状態も意味するのです。 耳を傾けることは決して容易ではありません。多くの場合、耳をふさいでいるほうがずっと楽です。耳を傾けることは、注目すること、理解しようとすること、他の人のことばを評価し、尊重し、大切にしようとすることを意味します。耳を傾ける中で、ある種の殉教、すなわち燃える柴の前でモーセが行った神聖なしぐさを繰り返す自己犠牲が行われます。つまり、自分に語りかける人と出会う「聖なる土地」では、履物を脱がなければならないということです(出エジプト3・5参照)。耳を傾けるすべを知ることは、はかり知れない恵みです。それはわたしたちが願い求め、実践すべきたまものなのです。 EメールやSMS、ソーシャル・ネットワーク、チャットも、十分に人間的なコミュニケーション・ツールになりえます。コミュニケーションが本物であるかどうかを決めるのは技術ではなく、むしろ人間の心と、ツールを正しく使いこなす能力です。ソーシャル・ネットワークは人間関係を円滑にし、社会の善を促進することができますが、その一方で個人や集団の間に、さらなる隔たりや分裂を生む可能性もあります。デジタル環境は、好意をもつことも傷つけることも、また有意義な討議も道義的な攻撃も行うことのできる出会いの場であり空間です。いつくしみのうちに生きるこの特別聖年に、わたしは祈ります。「さらによく知り合い理解するために、わたしたちがより対話へと開かれた者とされますように。いかなる姿であろうと閉鎖的・侮辱的態度は根絶され、いかなる暴力も差別もしりぞけられますように」(『イエス・キリスト、父のいつくしみのみ顔』23)。インターネット上でも、真の市民が育まれます。デジタル・ネットワークへのアクセスには責任が伴います。それは、見えなくとも実在し、尊重すべき威厳をもっている他の人々に対する責任です。インターネットは、分かち合いを受け入れる健全な社会を育むために、賢明に用いることができるのです。 コミュニケーションとその領域とツールは、多くの人の地平を広げてきました。このことは神のたまものですが、大きな責任も伴います。わたしは、このコミュニケーションの力を「親しさ」と定義したいと思います。コミュニケーションといつくしみの出会いは、世話をし、なぐさめ、いやし、寄り添い、そして歓迎するという親しさを生み出す限りは、実り豊かです。引き裂かれ、分裂し、分極化している世界において、いつくしみをもってコミュニケーションを行うことは、神の子どもたちと人間家族の兄弟姉妹の間に正しく、自由と兄弟愛に満ちた親しさが生じるよう貢献することなのです。 バチカンにて |
111にっき ブー。
おなら
せんじつ 5月1日 カトリックの きょうかいで こうえんがありました。
http://ogori.catholickyushu.com/
小郡教会:聖フランシスコ・ザビエル
ミカエル 山元眞神父さまです。(鳥栖教会兼任)
住所: 〒838-0141 小郡市小郡636-1
電話: 0942-72-3256 ファックス:0942-72-3395
メール: ogori@catholickyushu.com
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スマホを こしに けいたいしてありまして こうえんのさいちゅう てにされまして でんげんを けされたように みえましたので しつもんコーナーのとき でんげん いれてあるか きいてみると マナーモードにしている とのこと。
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大名町教会:勝利の聖母
ペトロ杉原博信神父さまは でんげんオフと いわれましたと いいますと
マナーモードでは ブーブー なりますからと まるで おならのように いわれました。
わたしは よく すかしっぺをします。
それは せいりげんしょうなので しかたのないことで でんじはスモッグより ましだと おもっていて すかしっぺ の ハンディキャッパーの ためにも おおいに すかしっぺを かまし へいぜんとしていることに きめています。
なんども ブーブー いわれますので わたしは サイレントモードも ございます と もうしました。
110にっき ピエロ
https://www.youtube.com/watch?v=nkAMK0_KHGs
上木彩矢 ピエロ PV 歌詞付 854x480
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https://www.youtube.com/watch?v=V_QG-UrNdf0
【伊東歌詞太郎】ピエロ【歌ってみた】
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https://www.youtube.com/watch?v=jXITl3T1fEg
【武士が泣きながら歌う】からくりピエロ【伊東歌詞太郎】
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https://www.youtube.com/watch?v=PPoE5kXhYrM
【Vif】2014.10.24-10.25『PIERROT DICTATORS CIRCUS FINAL』
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https://www.youtube.com/watch?v=_uVrfoVZk_A
Pierrot - Adolf [SWEET TRANCE 2002]
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https://www.youtube.com/watch?v=IRYPhjTnq28
Pierrot - 蜘蛛の意図
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せんじつ5がつ1日の カトリックのミサ。シルバーせきは だれも しんじやさんは きてありませんでした。
そのあと しろいのどの しんぷさんの おはなしきました。
ピエロは にほんごで 道化
https://www.youtube.com/watch?v=V1iW7QY5CG0
鶴田浩二「街のサンドイッチマン」
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https://www.youtube.com/watch?v=gazZ2_UVX5g
小畑 実 - 榎本 美佐江 _《湯島の白梅》1974