よしの85-1九州建設アスベスト訴訟3人意見陳述
原告弥永學さん
(
80
歳・大工)
私は、
14
歳で大工だった父に弟子
入りしてから、53
年間に亘って、大
工として働いてきました。
平成13
年に現役を退きましたが、
平成
20
年に、肺がんと診断されてか
ら、副作用や後遺症のため、日常生
活が難しくなりました。
アスベストが、危険なものとは知
らず、アスベスト製品をあつかい続
け、粉じんだらけの現場で、
50
年も
過ごしてしまいました。
企業や国は、危険だと分かってい
たのに、建築現場で働く私たちには
全然知らせず、その結果、私以外に
も、たくさんの建築関係者が、病気
になりました。こんなことが2度と
起きてはならないという気持ちで、
裁判をしています。
私は、大工の仕事が好きでたまら
ず、遠方の現場に長期間行くのも、
全く苦ではありませんでした。
現場は、多すぎて逐一覚えていま
せん。大型建物の現場は、内装の時
には、建物の名前がなく、名前を知
らずに終わることも多いのです。ま
た、人手不足の応援で、現場から現
場に移動したり、必要な工程だけ参
加したりした現場が多数あります。
粉じんの実態
現役時代、石綿粉じんが体に悪い
とか、ましてガンなど重い病気にな
るとは思いもせず、平気で粉じんの
中で仕事をしてきました。
特にひどいのは、電動ノコでボー
ドを切る時で、これは顔に向けて粉
じんが飛ぶので、頭から真っ白にか
ぶり、口の中がざらざらになりまし
た。とりわけ大型建物では、長い廊
下で、大勢の職人が片っ端からボー
ドを切っては貼るので、一面にもう
もうとホコリが立って、少し先が見
えないくらいでした。切断後、切り
口をヤスリで整える時も、霧のよう
に細かいホコリが立ちのぼりました。
そんな粉じんだらけの現場でした
が、気にしていては仕事になりませ
んでした。確かに不快でしたが、マ
スクなどで口を覆うと、声が届かな
くなるし、「ホコリで死ぬもんじゃ
なし」という感じで、気にするとバ
カにされる雰囲気でした。時々、役
人が検査に来ましたが、マスクのこ
とを注意されたことはありません。
病状
平成20
年、特に自覚症状もなく、
たまたま血痰を調べたら、肺ガンが
発見されました。すでに、両肺にガ
ンがたくさんあって取りきれず、左
肺の下部を3分の1切除しました。
報道でアスベストの危険を聞いて
いたので、医師に尋ねて、アスベス
トとの関係を調べてもらい、労災が
認められましたが、そのような情報
がなければ、労災とは知らずに埋も
れている被害者がたくさんいるので
はないかと思います。
(労災が認められてよかったですが、一人親方ではないのでしょうか?)
治療では、抗ガン
剤を最初の年だ
けで
90
本打ち、体中の毛という毛が
抜け、吐き気に苦しみました。副作
用で、皮膚が床ずれのようになり、
液で下着がはり付いて脱げなくなり、
ひどい出来物で、座っても寝ても痛
んで、身の置き所がない時期も続き
ました。
後遺症は色々ありますが、特に、
手足の先のしびれが辛く、箸や物が
つまめず、足の方は転倒しやすく、
実際に転倒して、額を縫う怪我もし
ました。また、呼吸が苦しく、人並
みに歩けません。特に腕を使うと苦
しく、植木の世話などをして、気づ
いたら倒れていたことが何度かあり
ました。何度も入院し、ここ数年は、
病院で酸素吸入をすることがありま
す。また、肺に水が溜まって息が苦
しくなり、これまで2度、水を抜く
処置を受けました。
私は、現役の頃は、風邪一つひか
ず、病気とは無縁で、大工道具の手
入れが趣味という、仕事一徹の人間
でした。大工の技術を生かして、少
しは役に立つことをしたいのに、思
うように動けず、歯がゆく無念です。
裁判では、アスベストの被害が広
がった責任を、はっきり認めていた
だきたいですし、企業と国には、早
く、責任を認めて欲しいです。