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よしの170「当たり前が有り難い」
林寺脩明
京都市立中学校教諭・全国生活指導研究協議会京都支部代表 大阪府大阪市正福寺前住職
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なぜか高島野十郎さんの絵を思います。
http://www.tnc.co.jp/takashimayajuro40/art/
高島野十郎さんの「蝋燭」の絵とか「境内の桜」「けし」などあります。
「りんごを手にした自画像」大正12年、福岡県立美術館蔵
野十郎の自画像は現在のところ4点だけが知られています。それらは東京帝国大学在学中の20歳代半ばから、卒業後本格的に絵を描き始めた30歳代前半頃に描かれた、画業の初期のもので、そこから彼の若き日の姿をうかがい知ることができます。
いずれもきわめて個性的な表情を見せていますが、33歳のときに描かれた「りんごを手にした自画像」は、他の作品にも増して謎めいた趣があります。袈裟を身に着け、リンゴを右手に持ち、左手は印を結ぶような仕草。彼は長兄である髙島宇朗の影響を受け、仏教に強い関心を抱いたと言われています。一方、リンゴは本作以前から彼が好んで描いた対象でした。
推察するならば、仏教的なるものと、「絵画」を暗示するリンゴが登場するこの自画像は、絵を描くことは仏の教えに沿うのだと語っているようにも解釈できます。こちらを見つめる、鋭く野心に満ちた眼差しは、画家として身を立てていくという強い決意表明でしょうか。
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リンゴはまだ青いです。
https://www.youtube.com/watch?v=b4L0VLJrel4
野口五郎 / 青いリンゴ
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「当たり前が有り難い」
林寺脩明
京都市立中学校教諭・全国生活指導研究協議会京都支部代表 大阪府大阪市正福寺前住職
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のお話がリンゴ追分になつてしまいました。
このお話の結びは
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当たり前のことが不思議
当たり前のことが大変
当たり前のことが有り難い
当たり前のことに合掌
これが仏さまの教え
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「有り難い」は「今こうしてあることがむずかしい。大変なことだ」の意味そして反意語が「当たり前」だそうです。
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太陽、土、水のめぐみなくして、いのちはありえない。
特に土など人間の都合で、コンクリートやアスファルトを敷き詰めた都会では目に見ることさえもできなくなっている。
土なくしては食べ物もありえないので、まさにいのちの土台。
仏様はこのようないのちのありようを、「南無不可思議光」(思いの及ばない大変なめぐみに合掌)と説く。