[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ただいまコメントを受けつけておりません。
よしの169復興ということ
浄土真宗の冊子「お彼岸」より
―
被災地は今もダンプカーが走り回っている。
海岸沿いに巨大な防潮堤を作り、山を削って高台に宅地を造り、その山の土を使って沿岸部の土地のかさ上げを行い、故郷の景色は変わった。
―
「津波の前は、一日の仕事が終わり三々五々防波堤に人が集まり、夕日をみながらとりとめのない話をしていた、あんな日が戻ってくるだろうか」という漁師さんの言葉が思い起こされる。
―
被災を機に、農業漁業ともに大規模経営にして競争力をもたせようというような思惑もある。
―
漁業特区ができ、会社が漁業を運営が可能になり、素早く護岸のかさあげや牡蠣の処理工場もできた。
社員になった漁師さんは浜には住まず近くの町から通勤してきて、浜の賑わいは昼間だけ、夜はさびしいとのこと。
―
復興するとは経済的に回復するということだけなのか?
-
被災当初の電気も水道も止まり、ロウソクの細い灯りを真ん中にみんなで過ごした時間が、それまでにない絆の強さを知った得がたい経験だった、と振り返る人達もたくさんおられました。
http://www.tnc.co.jp/takashimayajuro40/art/
↑高島野十郎さんのロウソクの絵を思い出しました。
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20170819-00000019-nnn-pol
自民党・長島忠美衆院議員が死去 66歳
8/19(土) 12:45配信
衆議院・新潟5区選出で自民党の長島忠美衆議院議員が18日夜、入院先の病院で亡くなった。66歳だった。
長島議員は14日夜、体調不良を訴え、病院に運ばれた。「脳卒中」と診断され入院していたが、容体が悪化し、18日夜に亡くなった。66歳だった。
長島議員は長岡市・旧山古志村の村長として、2004年の中越地震の際は「全村避難」を指揮した。2005年の衆議院選挙で初当選し、4期目。復興副大臣などを歴任し、自民党・新潟県連の会長を務めていた。
長島議員の死去にともなう衆議院・新潟5区の補欠選挙は10月10日告示、22日投開票の日程で行われる予定。
【関連記事】
https://medical.jiji.com/news/8711
長島元復興副大臣が死去=旧山古志村長、10月は衆院3補選
新潟県中越地震時の旧山古志村長で、自民党衆院議員の長島忠美(ながしま・ただよし)元復興副大臣が18日午後11時20分、多臓器不全のため同県長岡市の病院で死去した。66歳だった。同市出身。葬儀は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く。喪主は長男忠史(ただふみ)氏。関係者によると、脳卒中のため15日から入院していた。
長島氏の死去に伴う新潟5区補欠選挙は10月22日に行われる予定。愛媛3区、青森4区と合わせて衆院3補選となる。
旧山古志村(現長岡市)の村議、村長を経て、2005年の衆院選比例代表北陸信越ブロックで初当選。12年衆院選から新潟5区に転じ、当選4回。04年の新潟県中越地震の際、被災地の村長として復旧・復興の陣頭指揮に当たった。 (C)時事通信社
〔写真説明〕
(2017/08/19 16:32)