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みなさん、抗議の電話を岩下委員長や岸本町長に届けてください!
上記の新聞記事などは、木村公一牧師からお借りした下記の本に
まとめられています。
「世界の原発産業と日本の原発輸出」 中野洋一 明石書店
やっと一通り読み通したところです。
みなさまもお読みください。
From: 玄海原発裁判の会(略称)
Sent: Saturday, February 25, 2017 12:29 PM
To: 佐賀事務局
Subject: 【玄海裁判の会】2/27佐賀県知事・玄海町長緊急要請行動 団体賛同を!
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玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会
メールニュース 2016年2月25日発行
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※このメールニュースは会員の皆様、ご縁のあった皆様にお送りしています。
配信停止希望の方はお手数ですが、ご連絡ください。
■CONTENTS
【1】「黙れ!」:玄海町議会同意は言論封殺の中で
【2】再稼働県民説明会:住民の疑問と怒り噴出
【3】田中俊一規制委員長インタビューへの疑問チラシ
【4】2/27佐賀県知事・玄海町長緊急要請行動 団体賛同を!
【5】行動のためのカンパをお願いします!
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【1】「黙れ!」:玄海町議会同意は言論封殺の中で
2月24日、玄海町議会が玄海原発再稼働に同意することを決定しました。
この日に委員会では唯一再稼働に反対する議員の質問に対して、委員長が「黙れ!」と言論封殺。
そして、賛成9/反対1で「同意」が決定されてしまいました。
町長室へ戻ろうとした町長を、50年もの間、地元中の地元として原発反対運動を引っ張ってきた仲秋喜道さんらが町長に詰め寄る姿を見ていて、悔しさが急に襲ってきました。
とにかく悔しい。悔しい。悔しい。
地元で原発を向き合い続けてきた人達の思いはこうやって何度も何度も何度も踏みにじられてきたんだなと。
怒りの傍聴記をアップしました。この悔しさをみなさんと共有したいと思います→
https://saga-genkai.jimdo.com/2017/02/24/a/
【2】再稼働県民説明会:住民の疑問と怒り噴出
2月21日から玄海原発再稼働に関する佐賀県民説明会が始められました。
21日に唐津、22日に武雄と開催され、九電、国の酷い姿勢、そして佐賀県知事の無責任な姿勢が露わとなりました。
今回は九電の動員はなかったようで、ガラガラ状態。住民へのチラシ配布もなく、広報がまったく不足しています。
質問は1人1分1問に制約され、回答者の国と九電は長々と同じ説明の繰り返しやはぐらかし。
住民からは疑問と怒りが噴出しました。
説明会参加のレポートを書きました。ぜひお読みください。→
https://saga-genkai.jimdo.com/2017/02/23/a/
テレビニュースが会場の様子を的確に報道しました。
よしの9-1岸本英雄町長「官官接待」の常習犯
ー
これは かけマージャンと どっちが悪いの!?
岸本英雄町長は岸本組の7270株を保有し、2006年8月の就任以来
2011年9月までに資源エネ庁職員ら27人と東京都内の洋食店などで
11回会食し、町長交際費から44万290円を支出する「官官接待」の
常習犯です。
2009年8月には玄海町を訪れた原子力委員会の近藤俊介委員長を
町内の寿司店で接待し、その問題で国家公務員倫理法に触れる恐れ
があるとして経産省が調査に乗り出している、と報道されています。
岸本町長は2011年4月~5月に当時の古川佐賀県知事にイチゴや
牛肉など1万5000円相当を、九電幹部にも牛肉2万5000円相当を贈って
いた事実も報道されています。(朝日2012年3月21日付)
このような町長や議会委員長の実態ですから、町内にも一定の批判層
もあるため、決して説明会を町内でやろうともしませんし、政治倫理条例
作成の声に耳を貸そうともしません。
よしの9玄海原発3、4号機の再稼働に同意
----- Original Message -----
From: 原 豊典 <hara@kbe.biglobe.ne.jp>
To: 9条の会・中央区 <kyujyo@freeml.com>; all-fukuoka@freeml.com; fuku-freedom-school@freeml.com; fukuoka-3@freeml.com; gareki_action@freeml.com; gokayama-jimu@freeml.com; haikibuster@freeml.com; hankakuheiwarentai-fukuoka@googlegroups.com; ml-mirai@kotiaka.jp; nonuke_kyushu@freeml.com; opengikai@freeml.com; 自治体問題研究所 <jiti@ked.biglobe.ne.jp>; 社民党県連 <fukuoka@sdp.or.jp>; 初鹿 明博3 <i15752@shugiin.go.jp>; 福岡春を呼ぶ小出さん講演会 <fukuoka20120901ml@freeml.com>; 市民連合 <siminfukuoka@freeml.com>; 佐賀連絡会 <byenukessaga@freeml.com>
Date: 2017/2/26, Sun 00:00
Subject: [fuku-freedom-school:0733] Fw: 【玄海裁判の会】2/27佐賀県知事・玄海町長緊急要請行動 団体賛同を!
原 豊典 です。
山口佐賀県知事は、意図的に地方には(再稼働の)同意権など
存在しない!という国の回答を引き出しましたが、
にもかかわらず、玄海町議会は昨日24日、9対1の多数で
3、4号機の再稼働に同意しました。
これは、事実上、立地自治体(佐賀県と玄海町)の同意が
必要なことを示したものです。
この同意は先ず、玄海町議会から始まります。
それがどのように行われるのか!
【「黙れ!」:玄海町議会同意は言論封殺の中で】
只ひとり、再稼働に反対する藤浦議員(共産)に対し、岩下孝嗣委員長が
公の議会の議場の中で発したこの恫喝の裏には、国や九電からの
原発マネーにより、いわば買収されている玄海町の実態があります。
岩下委員長とは、数年前彼が議長時代に要請行動を行って、数回
会ったったことがありますが、自分の仲間の数以上には、私たち市民を
議長室に入れず、でなければ会わない、という対応で、野蛮だけれども
実は気の小さい男です。漁民出身です。
実態というのは核燃料税は玄海町が265億4102万円、
佐賀県が350億6000万円
(1979年以降の累積額・毎日新聞2011年8月19日記事)
玄海町民は6550人ですから、1人あたり405万2千円を得ているのです。
岸本町長は、今すぐにでも同意したいのですが、説明会が終わったら
同意する手順で待ち構えています。
岸本英雄町長の実弟が社長を務める建設会社「岸本組」は町内唯一の
「特A」ランクであり、1994年~2009年で、九電発注工事を少なくとも
約54億円分、町発注工事も23億7000万円分を受注しています。
よしの8選挙のワイロ。
よしの4県民新聞の川畑さんと電話
―
飯塚市役所の選挙管理委員会 伊藤知愛(ともちか)さんと でんわ
現時点で準備が着々と進んでいるのは、既に選挙事務所を構え、後援会組織が動き始めている片峯誠氏で、先月の成人式でも前市長の代理を務めたこともあり、名前が浸透してリードしているようだ。
―
選挙事務所は 後援会事務所の あやまりで 選挙期間中は 選挙事務所になる というのは 実質的 後援会事務所が 選挙事務所ではないのか?
選挙が終わったら 後援会事務所に かわるのか それとも なくなるのか 聞いたら それは わからないし 調べないそうです。
―
http://www.city.iizuka.lg.jp/i-kominkan/kyoiku/shogai/shogai/seshonen/sejinshiki.html
飯塚市 成人式
成人式は 市の行事
教育委員会の 独立性
http://www.mext.go.jp/a_menu/chihou/05071301.htm
[教育委員会制度の特性] |
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なんとなく ひっかかります。
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そして 市長と 副市長は かけ麻雀で やめられました。
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http://www.nikkei.com/article/DGXLASJC11H1V_R10C17A1000000/
賭けマージャンの市長辞意 福岡・飯塚
2017/1/11 15:09 (2017/1/11 15:37更新)
福岡県飯塚市の斉藤守史市長は11日、記者会見を開き、賭けマージャンで市政を混乱させた責任を取り、田中秀哲副市長と共に今月31日付で辞職する意向を明らかにした。
斉藤市長は「私の不徳の致すところで、一日も早く事態を収拾するために身を引くことが一番の方法だと考えた」と述べた。
斉藤市長は、田中副市長と平日の日中に市庁舎を離れ、賭けマージャンをしていたことが昨年12月に発覚。辞職を求める電話やメールなどが市に多数寄せられ、今月4日には市民ら数十人が抗議のため市役所を訪れ職員ともみ合いになる騒動もあった。〔共同〕
-
成人式の 前後で もめています。
―
後援会活動って どんなこと するのでしょうか?
なんとなく 選挙では お金が動くのではと 思ってしまいます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BF%E3%81%9D%E3%81%8E%E9%81%B8%E6%8C%99
みそぎ選挙 ウィキペディア
―
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1075739980
選挙で勝つためには賄賂、買収は当たり前ですか
地盤・看板・カバン。
強固な地盤を守るためには、常に支持者や支援団体を周り、
票のとりまとめのためにカバンから金を渡す。
選挙に当選していけば、少しずつ党内でも顔が売れ、
役職にも就けるようになり看板(知名度)が上がり、
それに伴い陳情なども増えて、それなりのカネをもらい、
カバン(選挙資金)も増える。
その金を使って地盤を固め、拡大していく。
こういう流れになっています。
―
わたしが 粕屋町の 町議会議員の 補欠選挙に 出た時は 町長選の 応援は 建築関係の人でした。
私が携帯電話の 電磁波問題やっていたら 携帯電話もって 選挙演説会場に 何人かやってきて 会場内を あるきまわり ケータイつかいまくってました。
ちなみに来場者は 家族だけでしたが。サンレイクかすや という 大きなホールです。
―
最近 電磁波問題も いろいろな 問題を含んでいるようで あんまり 言わなくなりましたが、WHOも 電磁波問題は たしかに あると いっています。
からだの 不自由な人の 電動ベット エアーベット
運転手さんの ブルートゥース さいきん ふえたように おもいますが、ながく やっていて 大丈夫なのでしょうか?
交通事故と 電磁波問題
電磁波スモッグと 肺癌の 関係なども 思います。
よしの7メキシコで日本料理店で多額の借金かえす。
メキシコの貨幣価値は日本の何文の一ですか?
1メキシコペソ=6円弱。(平成24年7月15日現在)
平均の月収は44400円位。 日本は、314600円。
―
メキシコの 貨幣価値は にほんよりも ずいぶん ひくそうなのに しゃっきん返済のめどが 3ねんで たつのは すごいなあと おもいました。
そういえば 小池百合子さんの お母様は エジプトで 日本料理店でした。
舛添さんが お金のことで たたかれて 東京都知事やめられましたが 小池さんも 防衛大臣のとき あてな なしの 領収書が たくさんあったとか。
http://vukivuki.cocolog-nifty.com/myonoshoran/2017/02/post-bd8e.html
現代社会が直面する課題に向き合い、創価の思想・哲学の価値について考える「グローバルウオッチ」。今回の「“不安社会”の中で②」では、数年に及ぶ引きこもりを乗り越え、社会復帰を果たした2人の男子部員を紹介する。(記事=小野顕一)
10年前、24歳の田中秀明さんは面食らった。
大阪で同居する両親から、唐突に「メキシコに渡って一家で日本料理店を開く」と告げられたからだ。
その5年前に父の会社が破綻し、多額の借金を抱えていた。田中さんは、大学をわずか2カ月で中退。職を転々としながら返済を支えたが、利息分の支払いがやっとだった。
そんな田中さんのことを気に掛け、心配してくれたのが、兵庫に住む中学時代の親友だった。交通費を出して田中さんを自宅に招き、励ましてくれた。
2007年秋、メキシコでの生活が始まったが、折から発生した誘拐事件の影響で夜間は外出が制限され、店と自宅を往復するばかり。仕事を終えて部屋に戻ると、兵庫の親友とオンラインゲームに明け暮れた。
チャット(文字での雑談)するうちに、田中さんは、親友が家に引きこもっていることを知った。“日本に戻ったら、何かで彼の力になりたい。NPOに入り、そうした境遇の人に尽くしたい”。漠然としたイメージだが、将来の目標が見えた。
料理店は幸い大繁盛。3年がたつころには、借金返済のめども付いた。田中さんは両親に自分の夢を伝え、一人、日本へ。親友と再会を喜び、その後、神奈川で介護施設に就職した。
利用者への対応に忙殺されていたある日、親友から電話があった。「本音が言える場所って、パソコンだけやんな……」
田中さんは「そんなことないよ」「また遊ぼう」と電話を切った。
その1週間後、親友は自ら死を選んだ。携帯の発信履歴の最後に、田中さんの名があった。
その日を境に、田中さんは眠れなくなった。仕事でもミスを連発。“自分は駄目な人間なんや”――途端に人が怖くなり、仕事を辞めた。同じころ、感染症の影響からメキシコの店をたたむことに。日本で家族そろって暮らすことになった。
“将来なんて考えられるわけない。親友すら救えんかった”とふさぎ込む田中さんに、母は「また一から頑張ろう」。久々の家族のぬくもりが身にしみた。
一家は三重県鳥羽市に居を移す。父がパーキンソン病を患い、田中さんは介護を引き受けた。「いっそ自分も……」と考えたが、家族にさらなる苦しみを味わわせるわけにはいかないと思いとどまった。
家に引きこもるようになって3年余りがたった2013年。母から学会の教学試験の受験を勧められた。家に仏壇はあったが、信仰には無自覚だった。
31歳になっていた。田中さんは、何かが変わるならと受験を承諾した。マスクで顔を隠して勉強会へ。“終わったらすぐ帰ろう”。そう思った矢先、声を掛けてきたのが藤原淳さん(当時、男子部副本部長)だった。
田中さんのゲーム好きを知ってか知らずか、「RPG(ロールプレイングゲーム)に例えるとね、俗衆増上慢が雑魚で、道門増上慢が中ボスで、僭聖増上慢が最後のボスなんだ」。
思わず田中さんの頬が緩む。「真剣に教えてくれるかと思ったら、雑談ばかりで笑かしてくれて」――心から笑えたのは、親友を亡くして以来だった。
藤原さんは、連日のように田中さんのもとへ。勉強が一段落すると、ドライブや食事に繰り出した。時には自宅に呼んで手料理を振る舞った。
教学試験の合格の報が届くころには、勤行・唱題が田中さんの大切な日課となっていた。
“以前は、自分も藤原さんのように、誰かに尽くせる人になりたいと思っていたはずだ”
亡き友の分まで生きるという思いが、祈りとなってあふれた。
田中さんは昨年4月にリサイクル企業に就職。今、男子部部長として友の励ましに駆ける。
自他不二の哲学
藤原さんは、なぜ田中さんに寄り添い続けたのだろう。
「むしろ、救われたのは僕の方だったんです」
田中さんに会う前、藤原さんは仕事などに行き詰まりを感じていた。ところが、“変わりたい”と純粋に信心に励む田中さんに接するうちに気力が湧いたという。「とにかく一緒にいて楽しかった。彼に会ってなかったら、今の自分はありません」
そうほほ笑む藤原さんの笑顔に、法華経の不軽品に説かれる「自他不二」の哲学を思った。
本来、自己と他者の生命は一体不二であり、人に尽くすことで自らの希望も開かれる。
自他不二の視点で見れば、他者は自分を映す鏡ともいえる。人も自分も同じく悩みを持っていると思えるから、関わらずにはいられない。その関わりの中で自他共に生きる力を得る。
そうした励ましの軌跡が、世界各地でつづられている。
自分を取り戻す
ベルギーの首都ブリュッセルに暮らすファビオ・ガットビージョさん(男子部班長)は、イタリア・ローマ出身。幼い時に暴行を受け、トラウマ(心的外傷)に苦しんできた。
洋服店経営を志していたが、大学で専攻していた学科が突然の閉鎖。そのまま退学となり、引きこもり状態となった。
日本で引きこもりは100万人を超えるともいわれるが、世界的にも広がっており、欧州でもイタリアやフランスなどで社会問題化している。
陽気で社交的なイメージがあるイタリア人からは想像しにくいが、日本語の「HIKIKOMORI」が新聞やサイトの見出しになることもある。
「何のために生きるのか。目標を見つけられない自分にいらだっていました」とガットビージョさん。3年間、来る日も来る日も自分を責め続けた。
そんなある日、SGIメンバーから座談会に誘われる。
人と会うのが嫌だったガットビージョさんだが、温かな歓迎を受け、まるで家族に会えたかのような気持ちを覚えた。さらに、青年の体験発表に驚いた。
自分の経験と似た状況から立ち直った内容だった。
「自殺未遂を乗り越え、信心で自分を取り戻した体験でした。人の顔色をうかがわなくていいと知り、希望を感じました」
唱題に励むと、不思議と笑顔が出るようになり、友人もできた。その後、SGIの一員に。
ある集いの折、トラウマと必死に向き合っていることを話すと、同志は「勇気をくれてありがとう」と、口々に感謝を語ってくれた。何の価値もないと思っていた人生が、誰かに希望を送れるものに変わっていった。
ガットビージョさんは運転手の仕事に就き、一昨年にブリュッセルへやって来た。
多様な国籍の人が暮らす同都市では、人々が向き合う悩みもさまざま。昨年3月には、空港と駅が同時テロに襲われた。心の空虚さや無力感から、将来を悲観する若者も少なくない。
ガットビージョさんの体験はそうした人にも、前を向く力を与えている。「彼に元気をもらった」という声を複数聞いた。
孤独にしない
池田先生は「自他不二」について語っている。
「『孤独』になってはいけない。人を『孤独』にしてもいけない。悩みに寄りそって、その苦しい『心音』に耳をかたむけてあげなければ。そうすることによって、じつは自分自身が癒されていく」
「人の『生きる力』を引き出した分だけ、自分の『生きる力』も増していく。人の生命を拡大してあげた分だけ、自分の生命も拡大する。これが菩薩道の妙です。『利他』と『自利』の一致です」――と。
学会は“誰も置き去りにしない世界”。なぜなら、不安の中で閉じこもるその人もまた、見いだした希望を胸に、やがて誰かの心を開く存在となることを信じているから。
この生命の触発の連続が、創価(価値創造)の生き方の実像であろう。
感想・意見をお寄せください メール:g-w@seikyo-np.jp ファクス:03-5360-9613
http://vukivuki.cocolog-nifty.com/myonoshoran/2017/02/post-8d02-1.html
2017年 2月4日 聖教新聞
“本音”の発見
滝口修さん(千葉県船橋市、総県男子部長)は、祖母も両親も創価学会員の“学会3世”。友達が自宅に来た時、仏間から響く母の唱題を恥ずかしく思うようになったのは、中学生のころだった。夜遊びを覚えると、15歳でスケートボード、18歳でラップを始め、ストリートが居場所になった。
仲間たちと群れるのが楽しかった。だが、周囲で相次ぐ交通事故や内輪のけんか。本音で話せる友達がいないことにも気付いてしまう。20歳を過ぎると、自然に縁が切れたが――。
この先、何をするかと考え、また気付いてしまった。
やりたいことが、ない。
手本にしたい人も、いない。
自分が見えなかった。
梅村清さん(同市、現・壮年部県書記長)は、そんな滝口さんの自宅に、男子部の先輩として通い続けた。
「彼は、好奇心は旺盛だなという印象。誰かの役に立てる人間になりたいと、心の底では願っているんだと感じた。ぜひ一緒に学会活動したいと思った」
ある日、滝口さんは、日頃の疑問を梅村さんに聞いてみた。「うちにもよく来てくれますけど、何でそんなに、人のことに一生懸命なんですか?」
答えはすぐに返ってきた。
「そういう生き方が一番幸せだと、池田先生の行動に教えてもらったからかな」
気付かされた。梅村さんたち学会員は、人の役に立とうと本気で思っている。だから、こちらも本音を話せるし、そういう人と話すから、自分の本心も、少しずつ見えてくるのだ――。
アルバイトから正社員に採用された印鑑等の販売会社で、人の3倍貢献し、結果を出す。それが、本気でやりたいことだと思えるようになった。
2006年、さらに自身を見つめ直す出来事があった。信心で変われる喜びを伝えたいと思っていた親友が、突然の病で、亡くなったのだ。
先輩と一緒に泣いた。さらに考えるようになった。これから自分は、彼の分まで、どう生きるのか――。
今も、明確な答えが出ているわけではない。「でも、一つ言えるのは、彼のことがあったから、今の生き方への決意が深まったんだと思います」
そうした夫の変化を見てきた妻は、3年前に入会した。2014年、滝口さんは会社で最年少の常務取締役になった。