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よしの46功史朗建設と電話がつながらない。
所在地: 〒810-0013 福岡県福岡市中央区大宮2−6−11
電話: 092-525-2416
でんわすると わたしの でんわばんごう からは おつなぎできません の アナウンス。
功史朗建設の社長 山本建太さんのお父さま は 佐賀の大工さん、
ご縁をかんじますけれど、なんとかしないと!!
アスベストの さいばんで ボードを きっていた人が いらっしやったのを おもいだします。
よしの41月命日と建築現場。
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http://www.kousiroukensetsu.com/company
ごあいさつ
私は佐賀の田舎で生まれ、小さい頃からトム・ソーヤーみたいに探検したり、木の上に基地を造って遊んだりしました。 父親が大工だったこともあり、倉庫に山積みにしてある木材を勝手に持ち出しては、よく父親に怒られていました。 でも、やっぱり楽しかったですね。傷だらけになりながらも、自分たちで創り上げた基地。 そんな、あまりコストをかけなくてもすばらしい作品としてほんの些細なことでも、満足感をお客様や入居者にも持っていただきたいと思います。
さて、功史朗建設とは弊社と皆様が、共に功績(功)をあげ、共に朗らかな(朗)歴史(史)を築き上げていきたいという思いが込められています。
特にアパートの管理をしていく上で、 5年後、10年後、20年後も常に入居率100%にまで引き出せるか・・・・。建物も古さを感じさせないか・・・・。
私どもの仕事は常日頃より勉強の毎日です。
お客様の満足は、弊社の満足です。
お客様の喜びは、弊社の喜びです。
弊社の感謝気持ちは、いずれお客様の感謝の気持ちに応えれるよう努力して参ります。
特に、弊社で取り扱っている木造3階建ての共同住宅は全国的にも類がなく自信作です。
最近では、入居見学にいらした方が建築した物件を一目で気にいって下さるケースも増えました。大変喜ばしい事だと感謝してます。
功史朗建設 株式会社
代表取締役 山本建太
よしの45「ちくほう共学舎 虫の家」
http://blog.goo.ne.jp/goemon-1555/e/8be0ec6af9b56188e00113d9e4703e29
障害のある人たちが社会に思いを発信する拠点として開設された小竹町御徳の障害者施設「ちくほう共学舎 虫の家」が25周年を迎え、「さようなら原発1000万人アクション」の呼びかけ人でルポライターの鎌田慧さんを招き、17日に講演会を開く。施設を運営する高石伸人さん(62)は障害やハンセン病を通して差別問題を訴えてきた。「原発には差別問題と共通する構図もある。ぜひ考えるきっかけにしてほしい」と呼びかける。
虫の家は、直方市社会福祉協議会の職員だった高石さんが1986年6月、自宅脇の空き地にプレハブ小屋を建てたのが始まり。当時は障害者らへの理解が乏しく、「障害者自身が街で存在感を示すことで、周りの人を変えていこう」との思いで発足させた。
いまは小竹町や北九州市、飯塚市などから知的障害や身体障害のある10人が通う。月曜は習字など芸術活動、火曜と金曜は小学校などで食品などの営業販売、木曜はカラオケなどに外出――曜日ごとにテーマを決め、障害者自身が楽しみながら積極的に地域と関わる活動を続ける。運営費は全国の支援者約200人の会費などで賄われる。
高石さんが熊本県の国立ハンセン病療養所菊池恵楓園の入所者と知り合いになったことがきっかけで、虫の家に08年、隔離政策の歴史などを紹介する「杉野ハンセン病資料室」を併設。元患者らとの交流や政策提言などを目的にした「ハンセン病市民学会」などで鎌田さんとも知り合った。今回、東京電力福島第一原発事故を受け、一貫して原発反対の立場の鎌田さんに講演を依頼したという。
高石さんは「立地地域の住民の犠牲の上に知らず知らずに大多数が恩恵を受けているのが原発。少数者の障害者らに対する差別の構図とも重なる。まずその構図に気づくことから始めてほしい」と話す。
講演会は小竹町総合福祉センターで午後2~4時。「大震災が切り裂いた安全神話」と題し、質疑応答、手話通訳もある。無料。問い合わせは虫の家(09496・2・6003)。(
朝日新聞 2011年12月16日
よかった
父 中尾徹昭
あるとき、 弘伸が わたしに もうしました。
「ぼくは 12指腸ガンでよかった」
「12指腸だったから たべられない という 症状がでて ガンが はやく はっけんされ、あと6ケ月の寿命ということがわかったのであって、もし 他のところにできていたら ガンを発見した時には 1ケ月とか2ケ月とかになっていたのではないか」
私に向かって 悲しさや淋しさの中にあってもなお゛よかった゛と いえることを さがしてほしい といっているように おもえてきました。
それいらい わたしは゛よかった゛といえるできごとを さがすように こころがけて いくつかの よかったことを 発見いたしました。
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つづく。
弔辞
(京都 龍谷大学の伏見の安田荘の下宿の同級生の弔辞の一部)
まずは筆不精の君が僕にくれた最後の手紙読ませていただきます。
「元日、快晴の空とボタ山をながめて つくづく 日本に生まれてよかったと 思った。
ごはんは 食べられるし 銃を持って戦うこともない、そこそこ若くて健康であれば 嫌な思いをすることも少ない。
飢えている人や、戦火の中の人を忘れていても責められない。
色々な人を踏みつけにして、少しの痛みも感ぜずにしられる。
まったく、とりあえず健康な日本人でよかった・・・・・・親鸞という人に出遭わなかったら、もう少しおめでたいままでいられるのに・・・・・・。」
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では 本の ないようです。
お礼のことば
1997年1月13日午後6時18分 弘伸(34才)は 息を ひきとりました。
14日 午後7時通夜 15日1時 葬儀
通夜の席に坐って びっくり 1日しかないのに
北海道 京都 鹿児島 宮崎 の 方々の 顔がみえる。
850人の ご仏前
4月22日 百ケ日 の 時点で 1,200件こえる
葬儀の 会葬御礼の あいさつ
『「間にあった」「とっくに間にあっていたのだ」といえる 弘伸に そだてて くださいましたこと 弘伸は いま みなさんに どれだけ お礼が言いたいだろうかと 思います。
弘伸になりかわりまして 厚くお礼申し上げます。まことにまことに ありがとうございました』と、言えてよかったと 思います。
(よくわかりません)
香典返しについては以下の各団体に寄付させていただくことで 香典返しに代えさせていただきました。
明光寺門徒会
明光寺婦人会
西嘉穂組
穂波町社会福祉協議会
筑豊労災病院
飯塚草の根会
直方虫の家
コーロ・サンガ(混成合唱団)
筑豊から世界を見る会
福岡教区ビハーラ
南尾老人会
穂波町消防団
穂波町民生委員会
南尾二区公民館
南尾二区老人会
福岡カウンセリング学習会
弘伸の文章や わたしの 浮かんだいろいろな 言葉 その他をお送りします。御笑読下されば幸いです。
4月22日 弘伸の百ケ日の日に
弘伸の父 中尾徹昭
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