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よしの176
豊前の青少年育成市民会議↑糸島の浄土宗のお寺↓
↑浄土宗のお寺の脇には蘇鉄がたくさん生えてます。
https://www.youtube.com/watch?v=zKdB7lZ48pU
島のブルース 三沢あけみ
よしの175空想ポエム・暴力団排除条例は暴力団敬意条例!?
ここは宇宙 原子核と核家族の星がありました。
暴力団を辞めた人が冤罪でつかまる
警察の人は暴力団の悪口を言うとむっとする
警察は暴力団に敬意をあらわしているので 辞めた人は 冤罪
そして
暴力団排除条例をかかげる
暴力団は 上納金の取り立てが厳しく
何かあると不始末とされ 指をつめさせられる
警察官は防弾チョッキをきていた
クロアチアとセルビアはなかよくできない
よくわからない テクノロジー
ここは原子核と核家族の星
ノンピーは 統合失調症だけど 警察はどうだろうか?
http://www.1-em.net/sampo/sisyogokyo/Laozi/
老子道徳経 ( 道家思想 《老子・荘子》)
養身第二
天下皆知美之爲美。斯惡已。皆知善之爲善。斯不善已。故有無相生、難易相成、長短相形、高下相傾、音聲相和、前後相隨。是以聖人、處無爲之事、行不言之教。萬物作焉而不辭、生而不有、爲而不恃、功成而弗居。夫唯弗居、是以不去。
天下みな美の美たるを知る。これ悪なり。みな善の善たるを知る。これ不善なり。故に有無相生じ、難易相成り、長短相形し、高下相傾き、音声相和し、前後相随う。ここをもって聖人は、無為の事に処り、不言の教を行なう。万物作りて辞せず、生じて有せず、なして恃まず、功成りて居らず。それただ居らず、ここをもって去らず。
「天下の人たちは皆、美が何であるか知っているが、それだけではいけない。美の裏には醜があるのだ。皆は善がどういうものか知っているが、それだけではいけない。裏には不善があるのだ。このように有無はともにあり、長短、高下、音声、前後といった具合に、すべてに相対的なものがある。だから道の教えを体得した聖人は、事を為すに当たって何もせず、何も言わない。道は万物を生むが、それを誇りに言わず、それが育ってもそれを自分のものとしない。それを頼りにすることもなく、成功すれば、いつまでもその場にいない」。
(2)ものごとの価値は相対的
世上の人々が美しいものを美しいと認めるとき, そこには,醜さ(の認知)が生じてくる。 世上の人々が善なるものを善だと認めるとき, そこには,悪(の認知)が生じてくる。 このようであるから, 有(存在)と非有(非存在)は,連なって生じ, 難と易は,相互に成り(補ってあり), 長と短は,対比して現れ, 高と低とは,相対する位置としてあり, 音と声は,調和して響き合い, 前と後とは,あい伴う(順序をもつ)。 そこで聖人は, 無為のままに物を扱い, 無声のうちに道を説く。 聖人は,万物の生起ををあるがままに認め, 身を処するのに,名声を求めず(外的な評価とは無縁であり), ことを成就しても,栄誉の見返りを求めない。 なぜなら,それらはもともと聖人に備わったものとしてあるからだ。
(The nourishment of the person)
All in the world know the beauty of the beautiful, and in doing this they have (the idea of) what ugliness is; they all know the skill of the skilful, and in doing this they have (the idea of) what the want of skill is. So it is that existence and non-existence give birth the one to (the idea of) the other; that difficulty and ease produce the one (the idea of) the other; that length and shortness fashion out the one the figure of the other; that (the ideas of) height and lowness arise from the contrast of the one with the other; that the musical notes and tones become harmonious through the relation of one with another; and that being before and behind give the idea of one following another. Therefore the sage manages affairs without doing anything, and conveys his instructions without the use of speech. All things spring up, and there is not one which declines to show itself; they grow, and there is no claim made for their ownership; they go through their processes, and there is no expectation (of a reward for the results). The work is accomplished, and there is no resting in it (as an achievement). The work is done, but how no one can see; 'Tis this that makes the power not cease to be.
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↓最近 名前も気になる。
道経 (上篇)
體道第一 (道の世界と名のある世界)
道可道、非常道。名可名、非常名。無名天地之始、有名萬物之母。故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼。此兩者同出而異名。同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。
道の道とすべきは、常の道にあらず。名の名とすべきは、常の名にあらず。無は天地の始に名づけ、有は万物の母に名づく。故に常に無はもってその妙を観さんと欲し、常に有はもってその徼を観さんと欲す。この両者は同出にして名を異にす。同じくこれを玄と謂う。玄のまた玄は、衆妙の門なり。
「道というのは、これまで言われてきた道ではない。名も従来の名ではない。天地の始まりには何も無かった。だから無名である。天地に万物が生まれ、それぞれに名が付けられた。有名である。したがって有名は万物の母である。 故に無は常にその奥深き妙を見せ、有は常に無との境を見せる。此の両者は同じ所から出て名を異にしているだけだ。どちらも玄妙で、玄のまた玄は見通せないほど深遠なものである」。
(1)絶対者「道(タオ)」の本質
語ることができる「道(タオ)」は,真の道(絶対者としての道(タオ))ではない。 名付けられるものは,真の名前(絶対者の名称)ではない。 その“名付けえぬもの”は,天地(あめつち)の始まりであり, その“名付けられるもの”は,万物の母である。 だからこそ,時に,人は心を空しくして“生の深奥(しんおう)”に近づこうとし, あるいは,“明示された形”を知りたいと,情熱を捧げるのだ。 (深奥といい,明示ともいうべき)これら二つのものは, (その本性において)同一である。 それらが明示される際に,多様な名前が付けられる。 それらは二つながら,“天地(あめつち)の謎”(宇宙の神秘)と呼ばれるべきものだ。謎(神秘)への探求の道は,さらなる深い謎をはらみつつ, “すべての生の謎(本質)”へとたどる入り口(門,出発点)である。
(Embodying the Dao)
The Dao that can be trodden is not the enduring and unchanging Dao. The name that can be named is not the enduring and unchanging name. (Conceived of as) having no name, it is the Originator of heaven and earth; (conceived of as) having a name, it is the Mother of all things. Always without desire we must be found, If its deep mystery we would sound; But if desire always within us be, Its outer fringe is all that we shall see. Under these two aspects, it is really the same; but as development takes place, it receives the different names. Together we call them the Mystery. Where the Mystery is the deepest is the gate of all that is subtle and wonderful.
↑この看板が疑問です。
(Adobe PDF) - htmlで見る
www.buzen-cci.or.jp/dayori/2016.08.pdf
企業と労働人権啓発部会. 豊前市青少年育成市民会議委員総会. 豊前市中小企業 融資委員会 ... 6|月|豊前市青色中告会監査会・役員会. |役会. W人 つみてらす豊前 オープン記念式典. 北九州空港利用促進協議会理事会. 筑後商工会議所創立3周年 記念式典.
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6月の商工会議所だより の 会議所の動き<<6月>>
2日木曜日
豊前市人権センター
企業と労働・人権啓発部会
豊前市青少年育成市民会議委員総会.
豊前市中小企業融資委員会
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とあります。
豊前市青少年育成市民会議の豊前市青少年育成会市民会議三毛門支部でしょうか?
宇島青少年育成協議会とは別組織か?
情報公開の申請しないと!
よしの172-2日本は北朝鮮と国交断絶してるんですか?
日本は北朝鮮と国交断絶してるんですか?
なぜですか?
韓国は色々賠償など、いってくるけど
北朝鮮は何もいってこないのはなぜ?
ベストアンサーに選ばれた回答
国交を結んでいない、と言うか、
そもそも韓国の意向を汲んで、
日本は「北朝鮮と言う国を認めて
いない」と言う立場です。
あくまで北朝鮮は「韓国の一部」
であると言うスタンスです。
そして北朝鮮は元々日本に反発した
人が作った国ですので、北では
「最初から日本は敵国」です。
なので敵に損害賠償を求めると言うのは
意味不明になるので、あまり言ってきません。
して来るのは要求です。
が、現在の状況では日本に対する敵意
の優先順位が低いので、細かい挑発や
文句程度で収まっています。
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質問者
そうだったんですね!なんか敵意むき出しで怖いですね(×_×)
核爆弾も作ったらしいので怖いですね。
韓国と同じくらい日本が嫌いなんでしょうか…?
きのうテレビでみましたが、
北朝鮮の人が『アメリカは敵』のような事をいってましたので、意外に思いました。
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その他のアンサー
そもそも、国として認めていなかった。
いわば野盗の群れの実効支配扱い。
今のISと同じと言えば判り易いかな?
北朝鮮が国連加盟国になった後、国交を結ぶ事を模索したが、韓国の情報局から金を貰って裕福な暮らしをしている「拉致被害者の会」に潰されてしまった。
韓国からすれば、北朝鮮が日本の援助により復興し、日本の支配下に置かれる事を怖れたのだろう。(絶対あり得ないのに)
そして現在まで国交が結ばれていない。
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↑これどういう意味でしょうか?
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過去と現在の時空は一緒じゃないので、色々なできごとがあって今があるのですから、国交があろうがなかろうが、同じ国に住む者同士仲良くできないのでしょうか?
これは幸福の科学にたよらねば!
よしの172-1日本と台湾の国交
>台湾とは国交がないはずなのに、なんで台湾の人が日本へ来たり、
>日本人が台湾へ旅行したりできるのですか?
1945年日本の降伏後、台湾は連合国に接収されたいわんにたいする
統治権や財産権などのすべてを失いました。
1952年4月28日、日華平和条約に調印、日本と台湾(中華民国)との国
交が回復しました。
然し、1952年4月28日、日華平和条約に調印、日本と台湾(中華民国
)との国交が回復するのと引き換えに、中国は台湾はわが国の領土で
あるから、中国(中華人民共和国)と国交を結びたければ台湾と断行せよ
と迫られました。
1972年9月29日、田中角栄政権は、中国大陸を支配する中華人民共
和国政府を「中国の唯一の合法政府」と承認し、国交を樹立した(日中国
交正常化)。
その際、日本は、日中共同声明に日華平和条約の遡及的無効を明記する
ことに応じない代わりに、大平正芳外相が「日華平和条約は存続の意義を
失い、終了した」との見解を表明。これに対し、中華民国外交部は即日、
台湾との国交を断絶したのです。
難しいので簡単に言いますと日中共同声明に日華(日台)平和条約無効を
明記しないかわりに大平正芳外相は「日華平和条約は存続の意義を失い
終了した」と言ったのです。
分かりやすく言えば、日台関係が終わったと明言はしないが、日台関係の
諸条約がなくなったわけではない、という玉虫色の表現で中国を納得させた
と言う歴史的背景があるのです。
だからこそ互いにパスポートやビザの発行を公的機関ではなくて、日本側は
「財団法人交流協会」、台湾側は「亜東関係協会」というと言う事務的な交流
機関を設立しました。
これらの民間交流機関が相互に大使館のような役割を担って、おかしな表現
ですが非公式ながら国交がこんにちまで継続しているのです。
ですから、過去の政治的経緯から台湾とは国交を正式に結ぶことはできない
が、人的・経済的交流が今まで続いているのです。