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よしの207-1国境なき医師団からメールがきました。
壮絶なレイプってテクノロジーと何か関係するでしょうか?
コンゴ民主共和国:目の前で姉を殺され、レイプされた。壮絶な暴力に、鳥さえ鳴くのをやめた
口をきいたら、おまえの姉さんのように首をはねるぞ――。
「病院の廊下。まるで何事もなかったかのように、笑いながら友達を追いかける10代の少女と出会いました。しかし、数週間前、少女の目の前で姉は首をはねられたのです。武装した男たちはこの少女を連れ去り、10日間にわたって床に縛り付けました。レイプされ続けました。何度繰り返されたかもわからないほどに」
国境なき医師団(MSF)インターナショナルのジョアンヌ・リュー会長はコンゴ民主共和国の中央カサイ州カナンガ市を訪れた。リュー会長の脳裏には、こんな冒頭の光景が焼き付いている。カサイの人びとは筆舌尽くしがたい経験をくぐり抜けてきた。
鳥さえも鳴かない……
私は、MSFチームとともにカサイ地方でも特に暴力が蔓延した農村地域を訪れました。ここでは村や田畑が焼かれ、大量の遺体が埋められた埋葬地がいくつも見つかっています。
一人の男性が私に歩み寄り、落ち着いた様子でそっけなく言い放ちました。
「暴力はすさまじかった。何日も鳥のさえずりさえ聞こえなかった」
カサイで危機が始まったのは1年前でした。ただ、私たちがその甚大さを把握するまでに、長い時間がかかっています。
最悪期の数ヵ月間は人道支援が一切届きませんでした。現在も極めて限定的な支援にとどまっています。現地の人はどうしてもっと早く助けを求めなかったのでしょうか?ある村のお年寄りはこう答えました。
「みんな地面に伏せていました。そこを銃撃されるんです。立ち上がって逃げるなんて、できない」
私たちMSFは3月にようやくカナンガで活動を始めました。大変遅かった。遅きに失しました。そして、今もなお問題の表面的な部分に触れているに過ぎないと分かっています。
手を切られても隠れ続け……
MSFが治療にあたる患者たちの傷が、カサイの人びとの直面する極度の暴力を物語ります。
ひどい傷を負っていても、すぐに医師の治療を受けません。何日も何週間もためらいます。恐怖が背景にあります。
たとえば、MSFの外科チームが治療した男性患者は手を切られていました。それでもそのまま茂みに数週間も隠れていました。見つかって、殺される恐怖におびえたからです。伝統的な薬で切断されたところを処置していました。MSFの病院に到着したときには膿瘍ができ、深刻な感染症が前腕部の骨にまで達してました。
今後、四肢を切除しなくてすむ可能性。それは低いでしょう。
(四肢って両腕と両足全部切るってことでしょうか?)
恐怖がつきまとう
MSFの心理ケア・チームが何が起きたのか患者たちに尋ねても、誰が暴力を振るったのか教えてくれることは決してありません。恐怖が、常につきまとっているのです。
ただ、体験したことは話してくれます。とてつもなく辛いものです。
「目の前で夫の首がはねられた」「拘束され、目の前で妻が強姦された。子どもたちもそれを見ていた」
それでも、こう口にするのは一回きりです。その後はいつも3つの同じ質問をされます。どうやって生計を立てるのか? 家族を食べさせるのか? 住まいを再建するのか? 今後についてです。
悲劇が降りかかる
このカサイの危機はまるで乾ききった夏に広がる森林火災のようです。2016年8月のひとつの火花によって、地域全体が焼けました。大勢の人が民兵の襲撃、軍の抑圧に遭っています。さらには、局地的な紛争にも巻き込まれています。火元とは関係ないのに、広がる混乱によってぼっ発したものです。
今、カナンガが平時に戻りつつあるとしても、カサイ地方のほかの場所から不穏な音が聞こえてきて、大変に懸念されます。
カサイ地方だけで、イタリアに匹敵する面積があります。治安の問題が立ちはだかり、これらの地域には立ち入れないため、何が噂で何が本当なのか、見極めることが困難です。
ただ、確かなことはあります。はた目には何も起きていないように見えても、人びとに悲劇が降りかかったということ。そして、それは続いているのです。今、このときも。
よしの207国境なき医師団からメールがきました。
http://www.msf.or.jp/news/detail/voice_3524.html
コロンビア:「このままでは自殺するしかなくて......」無料電話がつなぐ命がある
「暴力は伝染する」。そう語るのは国境なき医師団(MSF)の心理療法士ブリリト・マルティネス。コロンビアの港町ブエナベントゥラで活動する。
子どもたちの住むところ。殺人は日常だ
私がMSFの心理療法士としてブエナベントゥラで働き始めたのは1年半前です。内戦そのものによる暴力以外の影響、いわゆる「その他の暴力的状況」の影響に取り組むことが目的でした。
犯罪組織による住民の強制立ち退き、失踪、殺人、性的虐待、都市の暴力――。内戦の残した傷跡の一部です。
ある日、ブエナベントゥラのMSF事務所に、女性が3人の息子たちを連れてきました。三男もう3年も学校に通っていませんでした。長男が望むのは、銃を手に入れてどこかの武装勢力に加わることだけ。次男はしょっちゅう物を盗み、民家に侵入して目についた物を手当たり次第に奪ったり、近所の子どもの持ち物を取って帰ってきたりしていたのです。そして、母親は明らかに抑うつ状態でした。
母親が話を続けるうちに、一家が3年前に住まいを追われていたことがわかりました。末っ子が学校に行っていない期間と同じだけの年数です。
その後、一家は「カサ・デ・ピケ(切り落としの店)」と呼ばれる場所で生活していました。失踪者が連れ込まれ、殺害されたり、手足を切り落とされたりする場所です。子どもたちはそんな建物の隣に住んでいました。日常的に人が殺され、外出するたびにほぼ例外なく遺体を見かける地区です。
暴力が暮らしの一部に
この母親は、ただもうどうすればいいかわからず、MSFの診療所を訪れました。心理学的な治療を受けることになるとは想像すらしていませんでした。暴力を過去に追いやれば、すべての悪いことが消えてなくなると考えていました。
ブエナベントゥラでは暴力が常態化し、多くの人にとって暮らしの一部となっています。これが定められた生き方と納得してしまっています。
特に女性はその影響をとても強く受けており、診療所を訪れる患者のほぼ全員が性的虐待を受けています。その加害者が家族の一員や被害者と面識のある人物だった場合、幼年期から繰り返し行われていることが多く、少女がひとりで外出するようになる10代になっても続きます。
母親も被害に遭います。子どもを殺され、さらわれる。一家を皆殺しにされる。無一文のまま住まいを追われる――。夫がいなかったり、凄惨な虐待を受けたりする母親たちもいます。暴力は家の外だけではありません。自宅の中、家庭内にも存在するのです。
この町では圧倒的多数の人が、日々やっていくだけで精一杯です。今日の食事をとれるかどうかもわかりません。こうした環境では心理ケアなどに気持ちを割いてなどいられないのです。
無料電話プログラムで寄り添う
息子をギャングに殺された母ヌリさん。
それ以降、パニック障害などに苦しんでいる。
もう一つ問題があります。医療インフラと保健医療人員が不足しています。例えば、ブエナベントゥラには精神科医が一人もいません。精神面でのケアが必要な場合、車で2時間半をかけてカリ市まで行かなければなりません。ブエナベントゥラの住民の大半が交通費を捻出できず、包括的な治療を受けられないままでいます。
MSFは通話無料のケア・プログラムを提供しており、ほとんどの患者が、このプログラムを利用しています。対人で治療を受ける患者もいますが、電話の方がはるかに多いです。診療所に入る姿を他人に目撃されて、被害者であることを知られたくない女性もケアを受けられるからです。
MSFは、この電話によって、苦しさのあまり自らを傷つけることしか考えられなくなってしまった人びとの命も救っています。多くの人がこう言います。
「他にどうしようもなくて、こちらに来ました。このままでは自殺するしかなくて……」
そんな状態から抜け出すことができたら、きっとその人がまた別の誰かを助け、そうして助けられた人がさらに誰かを助ける。そうして次へとつながっていくでしょう。つまり、MSFが1人援助するたびに、その家族や隣人、周囲の人たちも間接的に援助していることになるのです。
コロンビアは2016年11月、コロンビア革命軍(FARC-EP)と政府の半世紀にわたる紛争が終結したものの、革命軍以外の武装勢力や犯罪組織はまだ活動を続けている。統治が行き届かないことや貧困が暴力を生む温床となっている。人びとの生活や健康に深刻な影響を及ぼしている都市もある。
国境なき医師団(MSF)は2014年からブエナベントゥラとサン・アンドレス・デ・トゥマコという2つの港町で暴力の被害者に心身のケアをしてきた。そのうちブエナベントゥラは、中央アメリカと米国への主要な麻薬密輸経路の一つとなっている。市民の65%が極貧状態の暮らしで、基礎的な公共サービスも受けられない。
よしの205相手を責めても幸福になれない
「ストロング・マインド」↓より
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=61
↑グレーのコンクリートのような本のイメージです。
この本に書かれていることの意味を考えます。
126ページ
例えば、交通事故で、自分の息子がダンプカーに轢かれてしまったとします。
それは不幸な事件であり、親としては悔しいでしょう。
「ダンプカーの運転手を刑務所に入れて、一生、出したくない」
「裁判官は、二年や三年で刑務所から出られるような判決を出さないでほしい。無期懲役か死刑にしてほしい」
この憎しみは、自分を幸福にしない感情
「加害者の罪をできるだけ重くし、できれば息子と同じように命を奪ってほしい」と裁判所に訴える気持ちは、相手の不幸を願うもの。
息子さんが亡くなったことだけでも十分に不幸なのに、さらに自分自身も不幸にしようとしている。
ダンプカーの運転手が若い青年かもしれない。
長距離輸送をしていて、夜も眠らずに九州まで行って帰って来たところだった」
このようにかなり過酷な労働条件で、たまたま起きた事故かもしれない。
その人にも家族があり、父母きょうだいがいますし、その人の家庭にもいろいろと恵まれない事情があるかもしれない。
努力して、どこかで許しの気持ちを持つ必要がある。
「もう恨み言は言うまい。相手を責めても自分が幸福になれるわけではないから、もう責めまい。相手も苦しいのだから許そう」という気持ちを持たなければ駄目。
とあります。
なにか交通事故で相手許したら精神病院に入ることになった人の話聞きましたが、偶然でしょうか
?
でも冤罪で死刑とかは絶対ダメですよね。
よしの203フッ素
http://www.amita-oshiete.jp/qa/entry/001975.php
セメントリサイクルにおける塩素やフッ素とは
製品中の塩素やフッ素の濃度が高いと、鉄筋を腐食させる、固まる時間が遅くなる、強度が保てなくなる等の問題が発生します。
(セメント製品中の塩素濃度はJISで規格が決まっています。ポルトランドセメントでは350ppm)
http://www.thinker-japan.com/husso.html#3
フッ素
一般的には、便宜上、「フッ素」と呼ばれていますが、反応性の高さから通常、単体では存在しません。様々な物質と結びついて、「フッ素化合物 ( フッ化物)」として存在しています。
まずはじめに知っておきたいことは、このフッ素という物質は、非常に微量であれば大きな害はありませんが、多量であれば人体にとって非常に毒性の強い化学物質であるということです。これは、フッ素支持派も反対派も認めています。
19世紀のヨーロッパにおける初期の代表的フッ素研究者の多くが、毒性の強さから、研究中に死亡したり、重症を負ったりしていることからも明らかです。
1950年代、アメリカで水道水へのフッ素化合物添加の是非をめぐる一大論争が科学者の間で起きました。そのとき低濃度(1ppm=100万分の1)のフッ素の安全性を訴えたフッ素支持派の筆頭者はハロルド・ホッジ博士でした。恐ろしいことに、ホッジ博士とは、広島に投下した原子爆弾を開発した 「マンハッタン・プロジェクト」の中心的人物であり、その他にも数々の非人道的な実験を行っていたことでも有名ですが、詳細は後述します。
またフッ素を人類史上、初めて水道水に導入したのはナチスです。
過去数ヶ所の自治体で実験的に導入された事例や、2000年以降に群馬県下仁田町での限定的に導入された例を除いて、現在は実施されていないようです。
2002年にも沖縄県旧具志川村で、全国初の水道水へのフッ化物添加の本格的な導入事業が進んでいましたが、健康面での不安を抱く住民の反対により、計画が中止になりました。
しかし、油断はできません。実際に、導入している国があるのです。今後どのようになるか、私たちは目を光らせておく必要があります。
(配管のやりなおしがフッ素化合物っぽい配管にかわっているような?)
アメリカ農務省は、「フッ素ほど大気中のすべての汚染物質の中で、世界中の動物に害を与えてきたものはない」としています。
(ゴルフ場は農薬すごく使うと聞きますが、世界で活躍されていた青木功さんの肌の感じが警備員さんに似ていると最近思いました。)