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32-3「山上の垂訓」とは
ここが マタイによる ふいんしょ では とてもだいじだそうです。
ネットで けんさくすると
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http://james.3zoku.com/jesus/jesus10.html
5 3「心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
4悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。
5柔和な人々は、幸いである、
その人たちは地を受け継ぐ。
6義に飢え渇く人々は、幸いである、
その人たちは満たされる。
7憐れみ深い人々は、幸いである、
その人たちは憐れみを受ける。
8心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。
9平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。
10義のために迫害される人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
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みうらあやこさんのでは
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<こころの貧しい人たちは、さいわいである、 天国はかれらのものである。
悲しんでいる人たちは、、さいわいである、 かれらは慰められるであろう。
柔和な人たちは、さいわいである、 かれらは地を受けつぐであろう。
義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、 かれらは飽き足りるようになるであろう。
あわれみ深い人たちは、さいわいである、 彼らはあわれみを受けるであろう。
心の清い人たちは、さいわいである、 彼らは神を見るであろう。
平和をつくり出す人たちは、さいわいである、 かれらは神の子と呼ばれるであろう。
義のために迫害される人たちは、さいわいである、 天国はかれらのものである>
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これは しふくのおしえ
ふつう わたしたちが こうふくと かんがえるとき
かね ちい けんこう ようし これは うつろいやすいもの
カネをもってから おっとの そこうが さだまらず その つまが ないてくらしている げんじつが どれほど おおいか。
「おっとと いっしょに くろうしていた むかしが なつかしい」となげくじょせいを わたしは いくにんも しっている。
かねのために ふうふかんが こじれ むすこや むすめの せいかつも みだれたれいも みている。
そのなかに 反抗的になったむすこが ナナハンの バイクを ぼうそうさせ ひとをはね じぶんも しんだ れいもある。
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にんげんは びょうきの うつわ
ついこのあいだまで げんきだったひとが びょうしょうで なみだをながしているのを いくどわたしたちは みたことだろう。
どんなに ざいりよくがあろうと ちいがあろうと いったん ぴょうきになったとき そのほとんどのひとが みるかげもなく こころよわるものである。わたしたち ふうふも たいびょうを けいけんしているので そのよわさが よくわかる。
わたしたちは ひとから こうふくの ひけつを とわれたとき、このイエスのようなことばをもって こたえたことがあろうか。
「こころまずしいひとたちは さいわいですよ」とか
「かなしんでいるひとたちは さいわいですよ」
ワタシタチニハ トウテイ カンガエモツカナカッタ コウフクカンヲ イエスハ ドウドウト ハクリョクノアル シンケンナコトバデ センゲンサレタノデアル。
ココニ セカイノ コウフクカンハ ギャクテン。