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仏のよしのさん。

106-1にっき くうそうポエム やくざな でんぱ。

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106-1にっき くうそうポエム やくざな でんぱ。

わたしは にんげんの しには なれていたはずであった。

ニューギニアの ジャングルで わたしは かずかぎりないにんげんの しを みてきた。しは にちじょうの できごとであった。

わたしじしん どれだけ しの せとぎわに たされたことか。わたしが せんごに いきのび そこくに そうかんされたことは ほとんど きせきにひとい。だが せんそうちゅうの たいけんとは まったくいしつのしが そこにあった。みるも むざんな すがたとなって。それにわたしは めいじょうしがたい きょうれつな だげきを あたえた。

そのときの しんきょうを わたしは しんいちとも したしかった ちじんに メールで かきおくっている。

「こんぼうで ぶんなぐられて、いちじしっしんじょうたいになったら こんなきぶんになるのかるいや、 それともちがう、すごい いわかんだ」

「ふかい きょだつかんとともに ぼくは この ひじょうきわまるじじつと あらためて むきあわねばならない。いつたい しんいちの じんせいとは なんだつたのか。僕はおやとして かれを このような けつまつに みちびいた せきにんを とわれるべきなのか。しょうがいふくしに これだけのエネルギーを そそぎこんできたぼくの、どこが まちがっていたのか。そのといから ぼくは にげだすことは できない」

たしかに たんに こどもに さきだたれたという かなしみだけではない。しんいちは かれが うまれてからの わたしの あらゆる かつどうの きてんであり ちゅうじゅくのはずであった。むすこが しょうがいじとして うまれてからの わたしの あらゆる かつどうの きてんであり ちゅうじゅくの はずであった。息子がしょうがいじとして うまれたからこそ わたしは ふぼのかいを せつりつし しゅうだんそしようの じゅんびや ざいだんの そうせつなどの かつどうに たずさわってきたのではなかつたか。だがそのことに いったいどのような いみがあつたのか。いみがあるかのごとく わたしは げんえいを ゆめみてきたのか。ぼうぜんじしつのまま わたしは いつまでも そこにすわつていた。

さすがに むすめは いしゃであった。てきぱきと ぜんごしょりをした。まっさきに むすめは けいさつに でんわした。いわゆるふしんしである。けいさつの げんばけんしょうを もとめねばならないからである。 げんばけんしょうは おわり いたいは かいぼうのため ゴムの はんそうぐに くるまれて いだいに おくられた。そして しいんは きゅうせいじんふぜん、しぼうじこくは すいてい2003ねん 八月十二日よるとなった。

おおくの ともだちが そうぎに さんれつ。 わかれたはずの つま さちこと その ははおやも おとずれてくれた。

このたびの弔問者のなかで 非サリドマイドしょうこうぐんの じょせいがいた。村田和子という。かたほうのあしが うまれたときから かけている。かのじょの ははおやには ほとんど あつたことは なかつたが、わたしは とくに ふかいいんしょうを もつている。ふぼのかいの ほうじんかのとき かのじょは いちまんえんの カネと いっしょに てがみを おくってきた。

「ていしゅに ないしょに しているのですが きものを うって つくった おカネです。すこしですが ほうじんを つくる ききんの いちぶに してください。

わたしが げんこくに ならなかった りゆうの ひとつは たとえば むらたふじんのような じれいが あつたからであるる

かのじょが 父母のかいに たくしたおもいを わたしは うらぎることが できなかったのだ。

かずこは ながいあいだ うつびょうを やんでいた。わたしは なんのてだすけも できなかつたが わたしの ひしょけん ちょうさけんきゅうしつちょうだった 大井英子が ながいあいだ かのじょの カウンセリングをしてきている。そういういみで かのじょが しんいちの はかまいりに おとずれてきたことは ことのほか いんしょうぶかい ものがあった。

しんいちさんの しょかんしゅう

「サリドマイドさいばんは おやである だいさんしゃが たたかった さいばんであるのが とくちょう。とうじしゃである ひがいしやは ようじであつたからだ。しょうがいしゃである ほんにんは じぶんの ひがいを ほとんどしらぬまに ほしようきんを もらって わかい。そのさいばんにおいて サリドマイドいがいの しょうがいしゃについては なにもしなかつたのも じじつ」

「つまり サリドマイドさいばんは やくがいといながらサリドマイドしょうがいしゃの きゅうさいしかしなかつたし いっしょに たたかつたはずの サリドマイドと にんていされなかった ほかのしょうがいしゃの きゅうさいは なにも しなかった。いまだに そのにんしきは サリドマイドしょうがいしゃには ほとんどない。」

エイズもんだいに かんれんした しょかん

「菅こうせいだいじんが ちんしゃしたところで いみがない。ほんとうの せきにんしゃ ほんとうの かがいしやたる じんぶつが せきにんを とらなければ むいみなのだ。だから 松下氏(注・サリドマイドわかいじの やくむきょくちょう)のときに きみがいった 『そうぞうがいの かじょうな はんのう』を ぼくはしたのである。

「きょうの ニュースで せんじちゅうに ちようせんじんを むりやりつれたきて きようせいろうどうさせ、ちんぎん みばらいで うつたえられた きぎょうが じこうを たてに さいばんで あらそつたあげく とりあえず しょうそした というのがあった。にほんじんは ほうじんのような そしきになると めちゃくちゃなことわして せきにんを ついきゅうされると ほうじんだから『顔』がないことを いいことに ろんりにならない ろんりで つみを にげる。役員や社長をかえてしまえば もとやくいん もとしやちょうは ぜつたいに せきにんを とわれない。」

「まったくこのろんりで とうじの くにの せきにんしゃに つみを なすりつけて にげようとしているのが あべし(注・エイズじけんの さいの ていきょうだいふくがくちょう)をはじめとするAIDSいいんかいの めんめんであるわけだ。」

しゅうしょう

めいじじたいの まっき 田中正造が こうがいうんどうの しそ。あしおどうざん こうがいじけん

げんいんは めいじせいふ

めいじせいふと ざいばつが けったくして村民のいこうや その けいかくの ごうりせいも こうりょしないまま たになかむらの そんらくを どうざんの はいえきの ゆうすいち とする けいかくを さいけつ。

むらびとの ていこうは かんけんによって むじひに だんあつされた。ぶらくの いえは すべて はかい。

めいじいしんいこう ふこくきょうへいを めざして きんだいかの みちを ひたはしってきた にほんこっかの しっょうちようてき すがた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%B0%BE%E9%89%B1%E6%AF%92%E4%BA%8B%E4%BB%B6

足尾鉱毒事件(あしおこうどくじけん)または足尾銅山鉱毒事件(あしおどうざんこうどくじけん)は、19世紀後半の明治時代初期から栃木県群馬県渡良瀬川周辺で起きた日本で初めてとなる足尾銅山での公害事件。原因企業は古河鉱業(現在の古河機械金属)。

せいおうていこくしゅぎ による アジアしんりゃくの きんだいしは まだ しようねんだった わたしの こころを いたく しげきした。 わたしは アジアかいほうを 夢見てなんぽうに ふにんした。 だがそこは まもなく げきせんちとなつた。わたしは いくたびか せんとうに さんかした。 こくはくを きわめた せんじょうは そのりねんとは こんぽんてきに 背馳していた。わたしじしんも おおきな あやまちを おかした。ゆめは 完膚なまでに 敗れはいせんを むかえた。そして せんごBCきゅうせんぱんとして ながいあいだ しゅうようせいかつをよぎなくされたのであった。それは ほとんど きげきにひとしい。

ちょうせんせんそうは たとえようもないショックであった。わたしたちの そんざいは れきしに ほんろうされた みごとなまでの ひきげきといつてよい。だからこそ スガモ・プリズンから、へいわと はんせんを うったえる しゅきを なんさつも しゅっぱんしたのであった。

わたしの せいは ほんとうに かがやいていたのであろうか。

パンドラの はこを あけたあとに さいごに きぼうが のこっているように きぼうの たねが のこっているであろうか。

わたしには どうしても そうおもえない。

とりわけ むすこのしは わたしがおこなってきた かつどうを ぜんひていしているかのようであつた。

だがついに わたしは たつたひとりの むすこに「やすらぎのば」をあたえることが できなかった。しゅくめいとして うけとめるには おやであり しょうがいしゃふくしの しどうしゃであつた わたしには むすこのしが あたえた しょうげきは あまりにもおおきい。

しんいちさんは Cがたかんえん

ぼしかんせん つまは しんいちさんの うまれるまえに いちど りゅうざん しゆっけつが とまらず ゆけつをうける。ゆけつようの けつえきは アメリカなどからの ゆにゅうに たよつていた。そのけつえきに Cがたかんえんの ウィルスが こんにゅうしていた。そしてCがたかんえんの かんじゃが たはつした。つまは その ひとりだったのだ。

つまは あるじき キッチン・ドランカーだった。そのげんいんの はんぶんは わたしにある。

衣袋くんがいった。

「ね、おじさん、しんちゃんは アルコールいぞんしょう だけじゃ なかつたんですね。ぼくよかつたと おもいますよ、 げんいんが わかって」

しんいちは サリドマイド禍だけでなく べつの やくがいも うけていたのである。死への きょうふ とぜつぼうと こどくのなかに。おやの わたしや あねの みきにも なにもかたることなく。その 錯綜したおもいを どうして そのとき せつめいできようか。

ひらおかくんは そのご わたしに てがみを おくってきている。

(ひらおかくんが Cがたかんえんの はなしを きいたのは 

2000ねんの おおみそかのよる さちことわかれて まもなくのころである。)

「かれの こころのやみは そこにあったのでは とわたしは おもつています」

ネパールに むすこ しんいちの なまえをつけた ゆうえんちが だいいちごうしせつとして できあがることを わたしは たいぼうしている。

もとより かれらは とおいちの いほうじんである。

わたしや わたしの むすこのことは 何一つしることはない。

だが わたしは ひそやかな いのりを いだく。 かつてそのちを おとずれた ひとりの にほんじんの せいねん―、やくがいに おかされ こどくのうちに しんでいった いいだしんいちの れいが ちいさな ゆうえんちに ぐしょうかして さいせいすることを。

そのちちであつた わたしの せめてもの しょくざいの おもいが そこに けつじつすることを。

それが おわつたら おおくの あやまちを おかした わがじんせいを おえてよい。

そして さいごのことばを しんいちに かけてやりたい。

「なあ しんいち、おれは おまえにとって いいちちおやでは なかつたようだ。だがな おまえがしんだあとになってしまったが ひとつだけ おまえがよろこんでくれそうなことをしたぞ。わかってくれるな」。

あらためて ひろいよみを しましたが どこを よんでも すごいので かくのが ながくなりました。

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