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51みなみあそむら。
「あかはし」といわれる あそおおはし が ほうかいして たいへんそうです。
げんだいは いなかのほうが たいへんなことが おおいきがします。
なんともうしあげてよいのか おみまいもうしあげます。
こどもたちの フッ素うがいも のうぎょうのさかんな けんで おこなわれているようです。
大橋崩落、分断の村 水届かず、通学も不能 住民「引っ越すしか」 熊本・南阿蘇
毎日新聞2016年4月22日 東京夕刊
熊本地震で阿蘇大橋が崩落した熊本県南阿蘇村が、地域分断の危機にさらされている。橋の西側に位置する立野(たての)地区の住民は、役場や小中学校などがある東側の村中心部に行けなくなった。深い谷に架かる巨大な橋の再建には相当な期間がかかるとみられ、住民からは「移住せざるを得ない」という声も漏れる。
22日朝、熊本県大津(おおづ)町の体育館で、立野地区の住民約70人が身を寄せ合っていた。「いつまで避難生活が続くのだろうか。早く帰りたい」。江川恒雄さん(66)がつぶやいた。雨による土砂災害の危険が高まったとして、21日に立野地区の一部に避難指示を出した村は、橋の東側への避難も模索したが、結局、大津町の避難所へ移す方が安全な上、はるかに早いと判断した。
「赤橋」と称される観光名所の阿蘇大橋は1971年に開通した。長さ約205メートルで、谷底からの高さは約70メートル。立野地区を通る国道57号と、村の中心に向かう325号を結ぶ橋は大事な生活道路でもあった。地震前、地区の小中学生はスクールバスなどで阿蘇大橋を渡って小中学校や保育園に通っていた。
だが一連の地震で阿蘇大橋だけでなく、南側の橋も大きく損壊。北側の橋はそこに行くまでの国道57号が、崖崩れで大量の土砂に埋まった。村の東西をつなぐ第三セクターの南阿蘇鉄道の鉄橋は残っているが、沿線の土砂災害で線路が曲がったりしており、「復旧のめどが立っていない」(同社)状況だ。
「これから、どうすればいいのか」。中学生の子どもを持つ立野地区の女性(51)は頭を抱える。10年前に建てた自宅の損傷は少なかったが、地震前は車で20分程度だった中学校まで迂回(うかい)路を使って送り届けることになれば2、3時間かかるといい、「引っ越すしかないのかな」とも思っている。村教委は今後の立野地区の通学について「検討中」とだけ話す。
阿蘇大橋には東側から立野地区に水道水を供給する配管も通っていたため、水道の復旧も難航しそうだ。上流側には別の水道管も通っているが、それも崩れた山の土砂に埋まって損壊した可能性があるという。立野地区で暮らす男性(73)は「復旧に数年はかかるだろう。ここに住むのは厳しいとみんな分かっている。集団移転も考えなければならないのではないか」と険しい表情を見せた。
阿蘇大橋を再建するにはまず国道57号に流れ込んだ大量の土砂を取り除く必要があり、国土交通省熊本河川国道事務所が20日に作業を始めたが、本格工事には当面入れそうにない。県の担当者は橋の再建の見通しについて「全く考えられる状況にない」と話した。【蓬田正志、樋口岳大、山下俊輔】