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日本 つい三十年ほどまえまで 不敬罪があり 皇居を遥拝しないというだけで 投獄され ばあいによっては いのちを うばわれた。
現代でも 政治批判を封じる投獄
投獄される側がわるいのか する側がわるいのか 私たちの課題。
ははに 盲従した サロメの まつろ
ヘロデアのざんにんさは さつじんを しゅえんの きょうに きょうしたところ。
しかも その しゅえんは おっとの
たんじょうの しゅえん。
そのときの きゃくは
「高官、将校、および ガリラヤの 重立った人たちである」
<ヘロデアはヨハネをうらみ かれを ころそうとおもっていたが できなかった。それはヘロデが、ヨハネは ただしくて 聖なる人であることを しって かれを おそれ かれに ほごを くわえ また そのおしえを きいて ひじょうに なやみながらも なお よろこんできいていたからである。>
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おそらく この とうごくも ヘロデアの さしがね
ヘロデアは たびたび おっと ヘロデに せまって ヨハネの いのちを うばおうとしていたに ちかいない。
それで あらかじめ むすめに しゅくえんで おどりを おどらせる てはずを きめていたのであろう。
むすめサロメは せいしょには ないが せいしょじてんに ある。サロメは「平安」のいみ。
ヘロデアがむすめに おどらせたおどりは
ゆうがな まいではなく おうじょらしからぬ みだらなまい。
ヘロデアは じぶんの にくたいの おとろえをしり つれこの サロメによって おうの こころを つなごうとしたと つたえられる。
おどったごほうびに ヘロデおうは
「ねがうものは なんでも あたえよう」
と ちかってやくそく。マルコでんでは
「ほしければ このくにの はんぶんでも あげよう」
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なんだか かんきょうはいりょの けんざいF☆☆☆☆のような はなしのような。
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このじけんの 後日譚がある。
後日譚をネットけんさくすると がいでんに ↓
http://www.weblio.jp/content/%E5%BE%8C%E6%97%A5%E8%AD%9A
外伝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/30 17:15 UTC 版)
(後日譚 から転送)
外伝(がいでん)は、伝記に対して、主となる部分や要点については不足するが、その補助となるような記録や注釈のこと。転じて、伝記に対して、その主要な部分以外の何れかに焦点を当てて書かれた記録や文書を指す。一般的には、主体となる伝記名を冠して「○○(伝記名)外伝」とされることが多い。
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ヘロデは ていしゅくな つまを りこんしたため その つまの ちち ナバテヤおうに こうげきをうけ はいぼくした。
ついで ヘロデヤのそそのかしによって ローマにたいする むほんの けんぎをうけ ヘロデのりょうちも ざいさんも ぼっしゅうされた。 かつとおいちに るけいされ、ヘロデヤとともに みじめな いっしょうを おえる。
またサロメは のちに 氷上をあゆみ その こおりが われて みずにおち そのするどい さけめで くびをきられて しんだという。
(このサロメの しについては 山室軍平著『民衆の聖書』十八巻<教文館刊>参照)