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仏のよしのさん。

205-2「そのとき、赤ん坊が私の手の中に」

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205-2「そのとき、赤ん坊が私の手の中に」

205-2「そのとき、赤ん坊が私の手の中に」

いちばん くるしむのは じょせい こども ろうじん。

これは ベトナムせんそうの おはなしですが、

ベトナムの ぶらくを しゅうげきすると おとこたちは じゅうで ていこうしてくるが その おとこたちを ころすと ジャングルに かくれたおんな こども さがしをする。

さがすさぎょうは かんたん

なんにちも のまずくわずなので こどもたちが ひもじさに たえかねて ひめいを あげる。

じぶんたちは ジャングルの おくふかくで じっと みをひそめているだけでいい。

こどもの なきごえで かくればがわかる。

おとしよりは にげあしがおそいので きかんじゅうや ヘリコプターの えじきになる。

おとしよりの したいや ひんしの じゅうしょうをおった ろうじんが あちこちに ころがっている・・・・・・となる。

むらを せめるとき じんこうちょうさを していて したいのかずを かぞえることで 「なんにん とりにがしたか」という しりょうになる。

集めてきたしたいを むらのひろばに もってきて おとこのしたい おんなのしたい こどものしたいと べつべつに わけて つみあげる。

(これは ぎゃくさつ ではないのか!?なんのための せんそうか しほんしゅぎを もちこむためか!?)

ジャングルの なかの したいさがしも 

しごと。 はえの とぶおと はおとに ききみみを たてる。

はなで においを かぎまわる。

ふらんしたいの においは すさまじく おもわず いのなかのものが こみあげてきて ゲロをはく。めになみだがたまる はなじるがたれる ぜんしんの ちからが ぬけてしまうような きょうれつさ。

この きょうれつなにおいが わたしにとっての せんそうのにおい。

ジャングルにかくれていた じょせいが ことぢもをつれて ひろばに もどってくる。

そして したいのやまを めにして おさないこどもが じょせいの したいのやまに かけより なきだす。こと切れた ははおやに とりすがって はなれようとしない。

いきのこった ろうじんが 「のこされたのは わたしひとりだ・・・」といって なきくずれる。

○わたしの てのなかに あたらしい いのちが うまれおちた

じぶんの いきかたを かえた けっていてきな できごと

 

わたしたちの かいへいたいちゅうたいがあるむらを つうかしようとしていたとき

てきの きしゅうこうげきで おおくの なかまが きずつき いのちからがら にげまわった。

わたしは じんかの うらてにまわって ぼうくうごうに とびこんだ。

アメリカの くうばくに そなえて かくいえに ぼうくうごうを よういしていた。

そこに ベトナムの わかいじょせいが ひとりいた。

15,6さいくらい。

こしからしたは はだかで くるしそうに いきんでいた。

りょうあしの あいだに あかんぼうの あたまが のぞいていました。

じょせいが ひときはつよく いきんだとたん おもわず てを さしだした。

わたしの てのなかに あかんぼうが うまれおちた。

かのじょは わたしの てから うばいとるように あかんぼうを とりかえし じぶんの はで へそのお かみきって くろい ボロぬのに あかんぼうを くるむと にげるように ごうから はいだし ジャングルに すがたを けした。

ごうからでた わたしは べつの にんげんに なっていた。

「ヴェトナムのひとも おなじにんげんだ・・・」という おもいを もった。

○こっかは せんそうあいてを「にんげんじゃない」と おもいこませる。

「ヴェトナム人」は「グークス」

これは はくじんの たちばから とうなんアジアの ひとたちを よぶ べつしょう

「あさぐろい れんちゅう」

「コミュニスト きょうさんしゅぎしゃ」

「めの つりあがった れんちゅう」のいみ

「にほんじん」は「ジャップ」、ラッツ(のねずみ)とおなじ

にほんじんに とって アメリカじん や イギリスじんは「鬼畜(きちく)米英(べいえい)

中国人(ちゅうごくじん)」は「チャンコロ」ロシアじんは「ロスケ」

げんざい アメリカへいは イラクじんを 「さばくのサル」とよぶ。

つまり にんげんじゃない。

あかんぼう たんじょうの いっけんを さかいにして わたしは あえて いっぽふみだして ヴェトナムじんたちと まじわるようになった。ヴェトナムのおかあさんたちから たべものや くすりや もうふを ねだられたら それを べいぐんきちからもちだして「おこさんのために つかってほしい」と あたえることもあった。

 

これは いまも くりかえされている。

パレスチナ、アフガニスタン、イラク、アフリカのかくちで・・・、げんじつに おこりつつある。

たいへいようせんそうでは

もつとも はげしい ちじょうせんが おきなわ、20まんにん といわれる おきなわのひとが いのちを おとした。

おきなわせんの さなかにも おきなわの じょせいたちは わかあなで かわべりで くさむらで みちばたで あらたな いのちを うみつづけていた。

その おきなはが 60ねんたっても かいほうされていない。べいぐんきちが そこにあるために ひび、せいめいが おびやかされる きょうふに さらされている。

じゅうねんまえに おきなわの 12さいの しょうじょが 3にんの アメリカへいに ごうかんされる。

「あの じけんを きっかけに きちへんかんとうそうが もりあがった」といわれますが あれが はじめての ぼうこうじけんではなく なんぜんけんもの ぼうこうじけんが ほうじられている。

とどけでも はばかられる じけんも おおくあった。

アメリカへいの おこした じどうしゃじこのために いのちを おとしたひと じゅうしょうを おったひとも かずおおくあった。

おきなわの こどもたちは きちに とりかこまれたなかで せいかつしている。

こそだてに こんなに きけんなばしょはない。

こどもたちは まいにち いえや がっこうの うえを かすめとぶ じぇっときの おと たいほうのおと きかんじゅうのおと を ききながら せいかつしている。

めのまえのみちを たいりょうはかいへいき や せんしゃ の たいれつが おうこうするのを みながらトラックに 乗ったへいしが ひとごろしの くんれんに でかけるのを みながら せいかつしている。

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