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よしの58筑豊炭鉱研究の川松あかりさまへのメール
----- Original Message -----
From: "spkdx234@ybb.ne.jp" <spkdx234@ybb.ne.jp>
To: "religion@lit.kyushu-u.ac.jp" <religion@lit.kyushu-u.ac.jp>
Date: 2017/3/17, Fri 10:53
Subject: 川松あかりさま
religion@lit.kyushu-u.ac.jp
川松あかりさま
宗教研究会の宮崎光子ともうします。
労働環境などの問題情報アップブログでやっていますのでよろしくお願いします。
以前の
【九州人類学研究会】第14回オータム・セミナー
「筑豊地域における炭鉱の語り継ぎと二つのユネスコ遺産―記憶継承への期待と失望の中で―」
興味深い題名です。
私のブログ
よしの40-5間にあった。
の 新聞記事に
゛ボタ山゛
わたしの いえの まえには おおきな ボタ山がある。
かつて ゛ボタ山1メートルごとに 1人死んだ゛゛と いわれる かなしみの 山だそうです。--
―
とかいています。
私は世界遺産の大牟田の三池炭鉱を みにいきましたが 家族で 炭坑で働いている人と
政治犯のような囚人の人がいて足を鎖でつながれて 炭坑で長時間労働させられていたとも 聞きました。
たぶん 危険な所が 囚人の人だと 思います。
―
いま 原発労働の 梅田さんが 裁判になっていますが 原発で たった42日間はたらいて、ぶらぶら病になり 一生はたられなくなりました。
かれの 主張は、きちんと 被曝の教育をしてほしい というものでした。
とにかく 場所によって 放射線量が すごく違うのだそうです。
かれは 一人親方でした。
原発労働も下請けの下請けの下請け、孫請け ひ孫うけみたいなのがあり いちばん したの 下請けの人が保証もなく危険な所で 働くことになるのではないかと 思うのです。
そして刑務作業で あるのではないかと 心配している所です。
刑務所に行かれる方は 冤罪が多く 従軍慰安婦のような問題にとりくんである人が多いように思います。
―
http://ameblo.jp/barrett-m82/entry-11266576929.html
2012年06月01日(金) 22時50分34秒
オウム真理教の菊地直子容疑者 相模原市内で身柄拘束
平成7年の地下鉄サリン事件でサリン製造の疑いがもたれ、殺人と殺人未遂容疑で特別手配されていたオウム真理教元幹部、菊地直子容疑者(40)が3日、相模原市内の潜伏先で身柄を確保された。警視庁へ同行し、逮捕する方針。 警視庁は事件への関与を追及するとともに、逃亡生活の全容解明を進める。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120603/crm12060321020005-n1.htm
「菊地直子に似ている女がいる」との通報に基づいて捜査員が現地に赴き、職質したところ菊地と認めたため任意同行したらしい。
オウム事件を憶えている人少なくなったねぇ。
―
相模原といえば 津久井やまゆり園の障がい者施設の事件があったところ。
神奈川県でもあり、沖縄につぎ基地の多いところです。
―
従軍慰安婦の像は 少女像です。
https://www.youtube.com/watch?v=sSCmafwLKE4
GIRLS`GENERATION少女時代 - Catch Me If You Can_ Music Video
―
オウムの事件って いったいなんなのかとも おもいます。
よくわかりませんが こんごとも よろしく おねがいします。
http://www.let.kumamoto-u.ac.jp/ihs/soc/anthropology/news/2015/11/14-1.html
【九州人類学研究会】第14回オータム・セミナーのご案内
・川松 あかり(東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士後期課程)
「筑豊地域における炭鉱の語り継ぎと二つのユネスコ遺産―記憶継承への期待と失望の中で―」
筑豊地域は、ユネスコ世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産から登録運動の過程で除外されたものの、これを機に、田川市がその多くを所有する山本作兵衛氏の炭坑記録画・記録文書等が見出され、日本初のユネスコ世界の記憶(世界記憶遺産)に登録されるに至ったという経緯を持つ。発表者は、この筑豊地域において、“炭鉱の過去が、誰によっていかに語り継がれているのか”を主題として調査を行ってきた。
世界遺産登録運動と並行して、田川市石炭・歴史博物館においては、2008年から、館長講座「炭坑(ヤマ)の語り部」が行われてきた。この講座は、当初の、世界文化遺産登録を目指して、遺跡というモノに付随する物語を収集しようとする場から、世界の記憶への登録へと目標が変化する中で、語り(≒記憶)そのものに価値を見いだし、これを聞き取ろうとする場へと移行してきた。しかも、世界の記憶への登録を目指すにあたり、「炭坑の語り部」において収集されるものは、田川市石炭・歴史博物館の立地する田川という場所を越え、広く炭鉱の「記憶」全般へと広がっていった。
現在、田川市内では、炭鉱の記憶と炭鉱が育んだ文化を田川から発信しようという様々な動きが起こっている。そうした動きを支える専門家たちは、記憶の多様性を認識し、その客観的な継承を目指しているように見える。しかしながら、発表者は筑豊各地で、世界遺産登録を軸に展開する田川での動きに対する不満や、自分の住む自治体の取り組みへの危機感、そして炭鉱の記憶を語り継ぐことに対する失望の言葉を耳にした。本発表では、二つのユネスコ遺産登録を巡る動きが筑豊各地にもたらした、炭鉱の「記憶」を継承することへの期待感と、これと表裏一体の関係にある失望や怒りを合わせてとらえて、報告を行う。
1. 炭鉱話について
驚きました。途中からですが、、、
NHKのSデレクターにお願いしたところお名前が解かり失礼とは思いましたが
メールをお送りした次第です。
戦後九州の炭鉱にきて閉山まで(昭和42年)採炭夫として22年間坑内で働きました。
戦前と戦後の違うことや閉山後の就職では「炭鉱もん」と言うレッテルを貼られ
随分いじめられました。
今年で90になり「語り部」と称する方々とは異なった話が出来ればっと考えて
メールをお送りした次第です。
現在妻と二人の生活で娘たち三人も60に近くなりました。
閉山後の住居は直方の手前中間市に住んでおります。
ご返事が頂ければ幸いです。