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仏のよしのさん。

よしの231-1セルビアとクロアチアってなんで仲なか悪わるいの?

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よしの231-1セルビアとクロアチアってなんで仲なか悪わるいの?

よしの231-1セルビアとクロアチアってなんで(なか)(わる)いの?

↓よんでみたけど よくわかりません。

だい2じせかいたいせんで ナチスドイツに かたんしたほうが クロアチアじん の ウスタシャ

ナチスは イスラムきょうを はくがいする たいどを とらなかったため きょうめい

そんなのが あとを ひいているのでしょうか?

ウスタシャは、ナチス親衛隊(しんえいたい)(なか)でも、身内(みうち)からも毛嫌い(けぎらい)される(ほど)に悪名高い(だかい)部隊(ぶたい)からも、ドン引き(びき)されるような悪逆(あくぎゃく)非道(ひどう)をセルビア人に取った(とった)ことで()られます。

って どういうことを したのか?

ウスタシャ(蜂起(ほうき)する(もの)())しどうしゃは べんごし の アンテ・パヴェリッチはくし

これを ささえたのが カトリックきょうかい

(おの)(つち)などの鈍器(どんき)虐殺(ぎゃくさつ)使用(しよう)された(こと)殺害(さつがい)手口(てぐち)特徴(とくちょう)として際立(きわだ)っていた。

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http://adolf45d.com/2014/11/06/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E6%A5%B5%E6%82%AA%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E5%A4%96%E4%BC%9D%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%A2%E3%83%81%E3%82%A2%E7%B7%A8%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%81%AE/

第三帝国極悪伝説外 クロアチア編 ウスタシャの怨念(おんねん)

ウスタシャ(蜂起する者の意)”

指導者は弁護士のアンテ・パヴェリッチ博士

指示基盤の薄いウスタシャを支えたのは全国的に組織を持つカトリック教会であった。カトリックの聖職者はウスタシャの幹部要員を提供し、新しい党員も提供したのだった。

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囚人の処刑道具は50通りにも及び、リボルバー、カービン銃、機関銃、爆弾、ナイフ、斧、まさかり、木槌、鉄の棒、ハンマー、つるはし、ベルトや革の鞭と多岐にわたり、殺害方法も、絞殺、火炙り、火葬、凍死、窒息、餓死など様々であった。

ウスタシャと言えば木槌だ

レンガ工場の炉を改造した「製陶所」と呼ばれた焼き窯の前に囚人を立たせ、生きながら窯に押し込み殺害する試みもなされた。

ある独軍中尉は数百人の子供達が青空の下、水や食べ物を求めて泣いていたのを見た。

ヤセノヴァツ収容所群で死亡した子供の中で、名前が確認されているのは19431人に及ぶ。

斧や鎚などの鈍器が虐殺に使用された事は殺害手口の特徴として際立っていた。

戦争末期になると、バチカンがパヴェリッチら約200人のウスタシャに対しアルゼンチンへの逃亡ルートを確保した。その後ウスタシャの首領パヴェリッチは、教皇ヨハネ23世に祝福を与えられピウス12世から41年に送られたロザリオを手に、マドリードで息を引き取ることになる。

ヤセノヴァツは神話であると主張し、その無害化を図った新生クロアチア共和国は、92年国際社会の支援を得て独立を達成した。95年まで続いたクロアチア内戦は、クロアチア側セルビア側双方ともに多大な人的損失を出したが、最終的にはセルビア人に対する粛清と民族浄化はほぼ完了してしまった。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13113471863

セルビアとクロアチアってなんで仲悪いの?

2013/9/1504:56:19

旧ユーゴスラビアと言う国というか、地域がね......多民族・他宗教の寄り合い所帯だったから、これには、セルビアとクロアチアも込み。

元々は、旧ユーゴスラビアって国のあった地域は、オーストリア・ハンガリー帝国や、オスマン帝国といった大国の配下にあった。
大国の配下にある地域で、多民族・他宗教で入り乱れていたけど、比較的緩やかな支配であるのと、支配者がいることで、支配下の多民族・他宗教の人達は、お互いに反目することが割合と少なく過ごしていたとも(支配している、大国は他の大国と反目はしてもね)。

そんな中、オーストリア・ハンガリー帝国や、オスマン帝国も衰退して、第一次世界大戦後に、すったもんだの末にユーゴスラビア王国が出来た。
一つの王国ではあっても、最初に行ったとおり、多民族・他宗教。 まあ、それでも王政時代は大規模な揉め事にはならなかった(揉めていない訳では無いけど)

で、今の反目しあう原因は、長い歴史の中での仲違いの側面は否定出来ないです、民族主義の素地となる、大セルビア主義なんてものもありますが、これは、かつてセルビアが、多くの地域を支配する大きな国だった名残です。

ですが、直接的な原因は第二次世界大戦中の出来事かと思います。

せっかく出来たユーゴスラビア王国ですが、ナチスドイツが、進出して王国を解体してしまいます。
でも、旧王国軍の一部は王党派として、これに抵抗しました、これがチェトニク。中心勢力はセルビア人。

一方で、ナチスドイツのファシズムに共鳴した団体が誕生しましたが、これがウスタシャで、クロアチア人が主体。

一方で、解体されたユーゴスラビアから独立して国が誕生もしています(まあ、ナチスの傀儡政権とも言われます)
クロアチア独立国や、セルビア救国政府が出来ました。
でも、元々、国、国境で簡単に分けられないほどに、ユーゴスラビアの地は、多民族・他宗教が入り乱れていますから(普通に、お隣さん・ご近所同士が異民族、異なる宗教、異なる言語が当たり前)、単純に国として独立させても、いたずらに民族意識を煽るだけとも言えますが.....それでも互いにナチスの傀儡で、枢軸国陣営ですから、この両者ではとりあえず、直接対決は回避の状態?

セルビアとクロアチアの話ばかりになりましたが、もう一つ、大きな勢力があります。

ムスリムの人達です。独立国家を設立とか、大規模な武装勢力をユーゴスラビア内では構成しませんでしたが、
ナチスは、イスラム教徒を迫害する態度を取らなかったためか、ファシズムに共鳴します。
クロアチア人とは微妙な関係、セルビア人とは敵対的な関係となるなかで、ムスリムは、ナチスドイツの武装親衛隊の外人部隊へ参加、クロアチアの名前を背負ってイスラム教徒の部隊を編成して第二次世界大戦に参加をすることになります。まあ、ムスリムの話は余談です。

さらに、共産主義者を中心とした反ナチの勢力、ソ連に後押しされる形で、パルチザンが誕生します。


で、ここまでで、なんか微妙な空気は十分に感じるかと思います。

案の定、各勢力では、中心勢力となる民族がいると、それが主体となり民族主義が暴走をしだすことになります、チェトニクとウスタシャが得に顕著な変化をします。
(パルチザンは、共産主義の名で固まっていたので、民族主義へ突っ走りませんでした)。

元々、王党派のチェトニクは、ユーゴスラビア王国の復活の大義は薄くなり、セルビア人の民族主義組織に変節し、クロアチア人へ攻撃を加える一方で、やがて、セルビア救国政府、ナチスドイツに接近してファシズムと共闘するような形に変節します。

ウスタシャは、ファシズムの思想以上に民族主義色の強い団体となり、やがてセルビア人を攻撃しだします。
同胞でもある、クロアチア独立国へも接近します。

ナチスドイツは、このような動きと状態をどう捉えていたのか?
ナチズム・ファシズムの思想で、取りまとめるようなそぶりは見せずに、民族主義の台頭を事実上放置、クロアチア独立国とセルビア救国政府の大規模衝突と言うこと自体は無かった様ですが、チェトニクやウスタシャの行動は放置をして、セルビア人、クロアチア人の争いの調停をしませんでした(いや、出来なかった?、それとも故意に放置した?)

他者から介入されない訳ですから、互いにエスカレートをして残虐の限りを尽くすことになります。

とくに、ウスタシャは、ナチス親衛隊の中でも、身内からも毛嫌いされる程に悪名高い部隊からも、ドン引きされるような悪逆非道をセルビア人に取ったことで知られます。

これが、直接的な、今日のセルビアとクロアチアの因縁になっています。
ご高齢で存命の方は、当事者ですから悲惨な記憶が新しいわけです。遠い昔の出来事ではありません。


やがて、ナチスドイツは敗亡し、独立したクロアチア独立国も、セルビア救国政府も共に瓦解。後押しをしてくれる勢力も無くなり、チェトニク、ウスタシャも瓦解します。

パルチザンは、ソ連の後押しをうけて、共産主義者中心として、チトーが強力なリーダーシップを発揮して率いていましたが、連合国側の勢力として戦い、最終的には勝利を手にしました。
ちなみに、パルチザンはナチスを追い出した勝利者ですから、あまり悪評をいわれませんが、敵の扱い、その残虐さにおいては、チェトニクやウスタシャともドッコイと言われています(勝てば官軍ですから、パルチザンの悪評は伏せられることになります)。

戦後、チトーは、バラバラになった旧王国の版図をまとめ上げて、ユーゴスラビアを共和国化して国を率いることになります。
戦後も強力なリーダーシップを発揮し続けて、ソ連とも一線を画して、ユーゴスラビアをまとめ上げてきた指導者ですから、上手く民族主義を押さえ込み、民族問題を押さえ込むことに成功しています。
チトーは、平和な時代を作り上げましたし、彼の亡き後には、ユーゴスラビアのサラエボでは、オリンピックを開催できるまでになります。

ですが、強力な指導者だった故に、その死後は、ユーゴスラビアは徐々にまとまりが無くなり、やがて冷戦が終結して、ユーゴスラビアとまとめていた共産主義という体制もほころび出します。

そして、再び、民族主義が台頭をしてくるわけですが、皆、少し前の第二次世界大戦時の悪夢が蘇ることになります。もともと、個々で、多い少ないの差はあっても、多民族、他宗教が入り乱れていますから、独立といっても無理はあります、そして、多数派が、少数派、他派を排斥していくという構図になります。

とくに、セルビアは「やらなきゃ、やられる」という方向に傾きます。民族主義の台頭で、かつての大セルビア主義も聲高に言われるようにもなりますから、自分たち以外の他民族の独立をいやがり、ユーゴスラビアの解体を嫌う傾向にもなります。
そして、記憶に新しい、ユーゴスラビア紛争に発展をして、ユーゴスラビアからの独立を望む地域へセルビアは介入することになり、遂には、民族浄化などというおぞましいスローガンが掲げられて、クロアチア人、ムスリムが、セルビア人に襲われる事になります。

この悲劇は、セルビア人の極端な民族主義の指導者が煽り、セルビア人を煽動したからとされていますし、国際世論もそんな方向ですが、今でもセルビア人はそうは考えていません、ですからNATOがセルビアを空爆したことには、セルビア人は今でも不満を述べますし、民族主義指導者を擁護する声が聞かれます。

ユーゴ紛争においては、セルビア人の極端な民族主義の指導者は悪人とも呼べますが、熟々と第二次世界大戦中のユーゴスラビア国内の経緯を述べた通り話は、一方的にセルビア人が悪いとか、そんな単純では無いと言えます。難しい問題です。

 

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