[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ただいまコメントを受けつけておりません。
よしの228-2かえり船はリンゴの唄の翌年。
リンゴの唄が しゅうせんの とし の しょうわ20ねん 1945ねん
その よくとしが かえり船です。
―
http://blog.goo.ne.jp/ginga7788/e/ffd7d0a1794434100457f475d5c0e30d
しかし、レイヨン島に向かった仲間は、滑走路を建設しながらも米軍の爆撃を受け続け、しかも食糧補給の道を絶たれ、かてて加えて伝染病に襲われた部隊の惨状形容し難く、不時着した二式大艇の乗組員は、島内での銃声を聞いたそうですが、それは兵たちの自殺の銃声であったと報告しています。約7割の4、493名が、戦闘もなく餓死病死で倒れたのです。
まさに『戦わずして玉砕した悲劇の島』でした。
最初の引き揚げ船、復員船が、このレイヨン島からの高砂丸でした。その後、陸続として外地から引き揚げてくる復員船から降り立ち、祖国の土を踏む同胞の誰の顔も疲労困憊と虚脱感に襲われ、うつろな瞳の中にも祖国に帰って来た喜びも含まれていたでしょう。また、遠く外地で別れた仲間を想い涙した人もいたでしょう。
翌昭和21年になると、そんな復員兵たちの姿が町に溢れ、港港に連日見かけるようになりました。そんな時流れてきたのが清水みのる作詞、倉若晴生作曲、田端義夫歌の『かえり船』でした。
エレキ・ギターを抱え、大きな声で『オーッス』と元気よく一声掛けて聴衆に呼びかけ歌い出すバタヤンこと、田端義夫は、そんな彼らを歌で温かく迎え入れたのでした。