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よしの218みなまたびょう60ねん。
30にち にちようびの 読売新聞にありました。
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90さいの 大矢ミツコさんのおはなし。
18さいのとき やく20にんの 網子を たばねる 網元に とついだ。
しょくたくには うみのさちが ならぶ。
夫 二芳さんは7さい としうえで チッソしゃいん。
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けっこんから10ねんほど 二芳さん くちのまわりや てあしに いわかん うったえる。むびょうめいが わからないまま にゅういん
大矢ミツコさんの おはなし
「えいようを つけるのが いちばんだとおもって びういんで さかなを こしらえて たべさせていました。いまおもうと わざわざ どくを たべさせていたのと おなじだったのです」
1956ねん5がつ たいいん げんきになるように さかなを たべつづけた。
(↓あれっ ねんぴょうでは みなまたびょうが みとめられている!?しらべないと)
https://www.env.go.jp/council/26minamata/y260-01/mat03.pdf
じきに 劇症型を はっしょう。
はげしい けいれんにおそわれ たつことも あるくことも できなくなった。
さいごは はなせなくなり ちょうなん・芳昭さんの 赤白ぼうしを むねに だきしめ なみだを ながしつづけていた。
その20かご いきを ひきとる。
56ねん 10がつ 38さいになったばかり。義父もはっしょうしてねたきり。
とうじは ほしょうもなく なきおっとの りょうしんと 4にんの こどもを やしなうために 漁や どぼくさきょう など なれない ちからしごとをした。
41さいのとき こんどは だいがくせいになったばかりの芳昭さんを がんでなくす。
「これから とうちゃんのぶんまで はたらいて かあちゃんば らくにせんばいかんとに。くやしか しなんばならんとやろか」
と しの さいごまで はたらきづめの ははを きづかっていた。
「とうちゃんが みなまたびょうで しんだりせんやったらとおもうと チッソが にくらしかった。だいがくせいになったばかりの芳昭の せなかを さすりながら なみだが とまりませんでした」
かいじょうから すすりなきのこえがきこえ みずからも 嗚咽しながら いのりのことばを こうしめくくつた。
「あれから60ねん そちらで あなたに あえるひも とおくないと おもいます。そのときは ゆっくり はなしましょう」。