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よしの190MKさんからのお手紙とお返事
(手紙はhttp://fanblogs.jp/yoshinohikaruko/ のブログでした。
みわ16とみわ16-1にバージョンアップして載せてます。ほかのもみてね!)
MKさま
お手紙ありがとうございます。感謝いたします。
またロックンロール文通に賛同していただきありがとうございます。
キティちゃんの絵を描かれまして、おくっていただきましてありがとうございます。
でも、ちょっと怖くてしばらく神棚にあげていましたよ。
よくみると むかって左目が白目なのが怖いんです。半分ずつ顔をかくしてみると、右側だけだとかわいいです。
鉛筆で白目を黒くして、まゆ毛つけてみたら怖くなくなりました。
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そして
お手紙を本にするアイデアに賛同してくださりありがとうございます。
でもどう編集しようかな?
MKさんの格言と解説がいいですね。
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そうだ、ロックンロール歌合戦文通というのはいかがでしょうか?
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ラップでたいまんはるのTVであってました。
うれる本づくりに何がいいアイデアありませんか?
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とにかくNPO宗教研究会は資金不足です。
そして神さまが「ベルナルドの祈り」の本によって
お金ではない感謝の心をしめしてくださいました。
感謝の心 ありがとうの心によって 自然とお金も集まるかもしれませんね。
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私は今、幸福の科学の本を読んでいます。
それで拘置所の近くに幸福の科学があるので、MKさんに何かいい本がないか相談に行きました。
冤罪でおつかまりの若者とお話しましたけれど、どの本がいいかよく分からない感じでしたので、パッと目についた本で若者にぴったりの本じゃないかと思って
全部、言っちゃうね。 ~本名・清水富美加、今日、出家しまする。~
買って差し入れしましたよ。
私も読んでみたいので、後で宅下げお願いします。
気に入ってたらまた差し入れします。
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https://lineblog.me/sengenyoshiko/
ブログもありました。MKさんは見れないけど、手紙ネットにアップしてるのでアドレスのせてます。こういうの今後ともご了承お願いします。
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D・カーネギーさんの゛人を動かす゛お話に、刑務所にいる受刑者さえ、自分を゛悪人゛だとは思っていない。悪事を働いたのには十分な理由があり、自分は正しいと信じている。
とありますが、冤罪だから当然ですよね。
カーネギー流の人を動かす基本原則、自分の基準で人を評価したり決めつけて批判・避難とでましたが非難をするのをやめること。その代りに、相手を理解するように努力する。なぜそんな行動をしたのか?なぜそんないい訳(正当化)をするのか?そこには、その人が大事におもう何かがあるはずだ。相手を責める前に、相手の性格をつかみ、言動に至った理由を聞くように努めよう。とあります。
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冤罪がはれないと社会に対してのスタンスってむつかしいですよね。
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養子縁組されようとしているAさんに、先日面会させていただいて、小指が両方なくて、不始末で切らないといけない社会というかテクノロジーというものに恐れを感じました。
Aさんはおだやかな笑顔でいらっしゃいましたが、韓国の人でもっと指のない人いらっしゃってその方は軍人さんのようなまなざしでした。
今の時代そんなのあるのって思う人もいるかもしれませんが、若い人でも指切ってる人、刑事裁判で何度か見ましたし、刺青も昔ながらのものを足首までいれてる若い人もいらっしゃいました。
時代が変わって人権が守られるようになったというのは、ただ隠されているだけのようにも思います。従軍慰安婦のような問題も思います。
MKさんは イレズミとかあるのですか?
おつかまりになる方でも、たくさんの刺青と指を切られている人と、少しの刺青で指のある人といらっしゃって、たぶん指を切られている人は組に入っている人ではないかと思うのです。
でもしょっちゅう指を切らないといけないと言うのは、大変な事だと思うし、どういうことなのかって思います。これは人権問題だと思いますが、テクノロジー問題でもあるのでしょうか?
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野口英世さんは小さい時の名前が清作さんで、左手をやけどして、グーの状態になり、「てんぼう」とよばれていたそうです。↓
・手に火傷をおい、左手がずっと「グー」の状態となった その為いじめられる
※差別用語だが「手んぼう」と呼ばれていた
・農業の手伝いもできない・軍人にもなれない よって清作(英世)は教師をめざし猛勉強を始める
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%8F%A3%E8%8B%B1%E4%B8%96
野口 英世(のぐち ひでよ、1876年(明治9年)11月9日[1] - 1928年(昭和3年)5月21日)は、日本の細菌学者。福島県耶麻郡三ッ和村(現:耶麻郡猪苗代町)[1][2]出身。
猪苗代高等小学校卒業、済生学舎(現在の日本医科大学)修了後、ペンシルベニア大学医学部を経て、ロックフェラー医学研究所研究員。細菌学の研究に主に従事し、黄熱病や梅毒等の研究で知られる。数々の論文を発表し、ノーベル生理学・医学賞の候補に三度名前が挙がったが、黄熱病の研究中に自身も罹患し、1928年(昭和3)5月21日、英領ゴールド・コースト(現在のガーナ共和国)のアクラで51歳で死去。
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私は拘置所にいらっしゃる方と一緒にNPO宗教研究会というのをやっていますが、MKさんも入りませんか?
すると刑が確定しても面会できるかもしれません。
また冤罪活動もしたいので、弁護士さんも教えてください。
また面会にお伺いしますので、よろしくお願いします。