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よしの134浄土宗と金光教
昨日、お墓詣りに浄土宗によって、その近くの金光教もよらせていただきました。
日々のおつとめで、読むのをいただきましたので、宗教のお勉強です。
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浄土宗信徒日常勤行式という本というかジャバラみたいなのがあります。
↑CDもあるのですね。
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http://www.chion-in.or.jp/01_honen/hon.html
月影の いたらぬ里は なけれども |
眺むる人の 心にぞすむ |
法然上人 |
この和歌は法然上人が詠まれた「月かげ」のお歌です。
月の光はすべてのものを照らし、里人にくまなく降り注いでいるけれども、月を眺める人以外にはその月の美しさはわからない。阿弥陀仏のお慈悲のこころは、すべての人々に平等に注がれているけれども、手を合わせて「南無阿弥陀仏」とお念仏を称える人のみが阿弥陀仏の救いをこうむることができる・・・という意味です。
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浄土宗と金光教は仲がいいのか私の住んでるところも近くにあります。
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金光教の本は『日々がさら』といいます。
http://blog.konkokyo-mk.com/2013/08/blog-post_24.html
『 日々がさら 』、金光教では有名な言葉です。
現教主が、教祖さまから数えて五代目になります。その二代前、三代金光様が日々がさらと、お言葉残してくださいました。
「 さら 」というのは、新しいという意味。まっさら、とか言いますね。日々が新しい、そのような意味です。
掛け軸もありまして、3代目の三代金光様・金光攝胤君(こんこうせつたねのきみ)のお言葉がかけてありました。
「日々優り一月優り一年優り代優り 攝胤」
http://azabu-konko.com/tool/column/index.php?num=2&act=topic&ym=200812&eid=45
三代金光様・金光攝胤君(こんこうせつたねのきみ)45年祭でもあり、金光家でいただいた偲び草の色紙には「日々優り一月優り一年優り代優り 攝胤」とあった。
『日々がさら』に
氏子あっての神 神あっての氏子
天地の道理を人々に伝え、世界の平和と人類の助かりを生みだし、神と人とあいよかけよで立ち行くあり方を世界に顕現していく。
(どうしても神がさいしょ紙と変換されました)
金光大神賛仰詞
というのがあり、時々、原発とか従軍慰安婦とか冤罪とか世の中の事で絶望的な気持ちになる時、唱えるといいかもしれないと思いました。
生神金光大神様