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それでは アスベスト裁判記録の 匿名の おはなしです。
裁判記録はコピーができず 写し取るので 間違いもあるかもしれませんし 時間がなくて とちゅうまでです。ご了承お願いします。
アスベストの 肺の治療は大変そうですし 治療方法にも大変疑問を感じますが おばた先生はどう思われますか?
亡くなられた方のご冥福とご家族にお見舞い申し上げます。
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○○○○さん 60さい
○○電気工業のあと s51年 ○○電気工事
入院(H24)
個人住宅 学校 工場 病院 飲食店 ビルの工事
電工 作業着は いつも ほこりまみれ ガラスの はへん みたいなものが ついていた。
顔も ほこりまみれで 鼻も ほこりで まっくろ
ほこりを はらうと ガラスの はへんのようなものが かたまっていた
28さいの わかさで どくりつ
土日も やすみなく はたらいた
H24年1月24日 共済会○○○○病院
せきや たんが ひどく きつそうでした。
23年11月から
抗生剤投与で 観察入院
24年1月30
鼻から肺に直接チューブ
機械から酸素を与える治療
(自分で息をするのが難しくなったから)
チューブにたいして 違和感 きつそうな 表情
手足もばたばた
病院 モルヒネで ねせていた
会話は できなかった
たん の 治療
鼻からストロー みたいな 大きさぐらいの チューブをいれて 吸入
たまに 血がまじって いたそう。
一日 一時間に 一回くらい。
24年2月14日 気管切開術と 担当医
のどを 切開して そこから 直接 酸素をあたえる 手術
症状がよくなって リハビリすれば また 声が でるようになるといわれる。
私は ムリだろうとおもった。
手術後
機会から 体に入る酸素がなまぬるくて 気持ち悪そうだった。
集中治療室 一晩中 あかりがついてて 機械の音もぶんぶんうるさくて 眠れなかったとおもう。
話もほとんど できなかった。
筆談
ねむれる くすりが ほしい。
3月3日 肺がんの末期症状で 余命数か月 担当医
信じられなかった
その年のお正月 家族で お酒飲んで 孫とも 遊んでたので
まさか 1週間の 入院のはずが 数か月だとは 全然信じられなかった。
3月5日 夫とともに 働いた弟 肺がんで なくなる。
ご主人の精神状態で 言えなかった
不思議と それから 精神状態がおかしくなって 筆談でノートに 虫が飛んでいる
とか 書くようになった。
(↑これは 精神科の薬の 副作用ということは ないかと 思います。)
24時間ベットに 寝かされて 天井をみるような
病状も悪化していく。
普通の精神状態が 保てなかったのだと おもう。
のどのチューブを とろうとしたり 点滴の針を何度も抜こうとしたり
手足を 固定バンドのようなもので くくりつけて 動かなくされていた。
(↑これは 虐待にあたると 思いますが家族の了解があれば いいのですか?治療というより 拷問みたいです。)
3月28日 午後8時 ご主人亡くなられたのですね はい
うけとめられなかった
九大医学研究院に 剖検 依頼
組合の人からアスベストが原因じゃないかと 言われて
H24年6月 剖検の 結果 中皮腫とわかり どのように おもわれたか
労災申請が できると 思った
同時に国や 企業は なぜこんな 有害なものを やめなかったか疑問に 思った。
S51年から 一人親方
東京地裁 一人親方 救済しない
一人親方だけ 救済されないのは 疑問
入院から2か月 63歳
私に目で つらい きつい 苦しいと 訴えていました。
アスベストさへなければ
おだやかな老後がおくれたはずです。
またその権利もあったはずです。
本人が一番無念。
だれか おしえてください 主人が何か悪いことをしましたか?
おしえてください。
ただまじめに がんばって 仕事をしただけです。
そして まじめに がんばって 税金を払いました。
今でもあの 過酷な入院生活を思い出すと胸が苦しく悔しくてなりません。
国や企業は この 現状を 真摯に受け止めてください。
そして 良心のある裁判になりますように切にお願いします。
以上